それが旅の第一優先順位になったのは、2年前のこと。スマホ使用率が世の中の5割を超えたころやっと私もスマホにすることにした。目的は海外で現地のSIMカードを使いたいから。
足を踏み入れたことのないアップルストアに勇気を持って入り、3分で10万円の買い物をした。
その3日後、そのIPHONE に初めてSIMカードが入ったのは、オーストラリアはパースの空港だ。IPHONEにヴァージンがあるとすれば、処女はオージーにささげたことになる。
以来、その便利さと、何より日本の価格が信じられないくらい(どれだけぼったくりかと思う)安いのに味をしめて、各国の旅で愛用させていただいている。
今回は、バリ島。空港に着いたのは夜遅かったので、翌日に購入を目指した。
いまやどの町でもいちばん目立つのが携帯ショップなのは日本に限らないのだが、ここバリのリゾートエリアにおいては、それがまったくない。何ということだ。
賑やかなエリアに行けば、いとも簡単に買えると思い込んでいた。ところが、よくある派手な看板がどこにもない。代わりに両替所はやたらあるのだが。
リゾートウエアやアクセサリーショップが並び、旅行者で賑わっている通りは、いくら歩いても、そのなかにSimの文字はおろか、TELの文字も見当たらない。
しびれを切らせ始めた時にようやく見つけたのは、小さなうらぶれた土産物屋の店先。よれよれの段ボールに手描きのSimの文字。一応、値段を聞いてみると「25万ルピー」ざっと2300円くらい、という。うっそー、と交渉を始めたら20万、18万、16万と下がり、最後は12万まで来た。でもそもそも怪しげな店だし、こういう人にスマホを預けてセッティングしてもらうのは嫌なので、立ち去る。
が、歩けども歩けども、その後一切見つからない。そこでだめもとで、スーパーと両替所を併設しているちょっと大丈夫そうな雰囲気のところに。すると、たばこなどの対面販売のところに、当たり前のようにおいてあった。
「いくら?」「いちばん小さいギガ数ので20万」
うーん、これが相場なのか。
いちおう、お店だし、定価販売そうだし。
決心がつかないまま、さらに道を下る。もう一軒、ちゃんとしてそうなスーパー的なところでも聞いてみる。
やはり20万(約1700円)との返答。そうか、それが相場なのか。
なにせ、初めて買ったオーストラリアでは、5ドル分の国際電話通話料込みで8ドルだったものだから(つまり600円、実質240円!で1か月)、どう考えても物価が安いだろうインドネシアでそれはないんじゃない、という思いが強い。
さらに、さらに、歩いていると、初めて携帯会社の宣伝幕のようなものが目に入る。ただ空っぽのガレージのような場所で、奥深いところになにかあるような・・・こわごわ奥に進みハローと声をかけると、遠くの暗がりの中から思いがけず返事が聞こえた。
そこにはイスラムのスカーフをまとった若い女性が座っていた。古ぼけたガラスケースの中にはSimが並んでいた。それに珍しく商品に値段が貼ってある。安いのは7万ルピアだったが、彼女がこちらの会社のしかセッティングできないと進めたのが10万ルピア。30GBとあり、とてもそんなには必要ないが、お願いした。
寡黙に、てきぱきと指を動かしていく彼女。他の国でも思ったのだが、その動きには何の迷いも無駄もない。日本語の表示になっていることなど関係ないのだろう。こちらはただぼんやりと眺めているだけ。
彼女は、こんな奥まった薄暗い穴倉のような場所で一日中店番をしているのだろうか。眺めているしかすることがないので、思いはあちこちに飛ぶ。よく見るとそこは木工製品の工房のようで、頭上では竹の風鈴のようなものがたくさん吊り下げられており、コォン、ポォンとのんびりした音が風に揺られて奏でている。
通りを歩いていれば、ひっきりなしにタクシーの客引きにあい、店の売り子が声をかける旅行者相手の商売の喧騒に包まれているバリの繁華街で、ここだけが別の空間に入ったみたいに、静かで、ゆっくりとした時間が流れていく。もしかしたら、次に来た時にはもうこの場所はなくなっているのではないだろうか。時間の異相に迷い込んでしまったのではないだろうか。そんな不思議な感覚にとらわれていた。
やがて、すべての手続きが完了し、わたしは晴れてインドネシアでのスマホを自由に使える身となった。