リビアの少女

カターニアからナポリへは夜行列車で向かうことにしていた。シチリア島とイタリア半島の間に橋はなく、列車もフェリーに乗るのだという話を聞き、ぜひそれを体験してみたかった。

カターニア駅の発車時間は、午後22時54分、ほぼ夜の11時だ。あまり好ましくはないが仕方ない。

駅には30分前に着いた。もしかして、早めに入線しているかもという期待。が、それどころか50分遅れだと! しばらくするとさらに時間がのび、1時間20分遅れ。日付が変わってからの出発になる。どこかで時間をつぶそうにも駅の構内は店はしまり、外は雨が降っていた。

しかたなく、駅の硬い椅子に座って待つ。

と、隣にいた4,5歳の少女が私にニコニコと話しかけてくる。といっても、顔立ちはアラブ系で、話している言葉もアラブ系のよう。まったく一語も理解できないが、わたしも疲れていて、日本語で適当に話しかけた。二人の間には、彼女の持ち物のピンク色のキティちゃんバッグがある。すると、少女もペシャペシャ話し、うれしそうに笑う。わたしはわたしで日本語で相槌を打つ。

日本のおばさんとアラブ少女の間で不思議なコミュニケーションが成立していた。遠くからストールで頭を覆ったお母さんがほほえましそうに見つめ、わたしに笑いかける。ただでさえ遅い出発の列車にさらに1時間半の遅れという状況で、わたしにとっても、つかのまのうれしい時間だった。

小学2年生くらいのおねえちゃんも加わってきた。おねえちゃんは、英語で話してきたので、ここで初めて意味を持つ会話が成立した。

「どこから来たの?」「リビア」

わたしは押し黙った。ここからどう会話を広げていいか戸惑ったのだ。リビア、だ。悲しいかな、カダフィ大佐、しか思いつかない。砂漠の国、石油資源の豊かな国。そんな知識から、10歳に満たない少女たちと何を話せと言うのか。

シチリアは、実はアフリカに近い。もっとも近いところで100キロだそうだ。方やイタリアの首都のローマとは700キロ。歴史的にも北アフリカ沿岸を含めた地中海文化の地域なのだ。だから、シチリアではあちこちでアフリカ系、アラブ系の人たちも多く見かけた。

では、彼らはどういう事情なんだろうか。子供はあと2人男の子がいて(小学校高学年と3歳くらいの)、大きくて重そうなスーツケースが3つ、中ぐらいが2つ、子供用のかばんが数個。とても、ただの家族旅行とは思えない荷物だ。が、子供たちが着ているものも、おもちゃや持ち物もそれなりに豊かで、悲壮感も貧困もさほどうかがわれない。お母さんはとてもおだやかでやさしい表情をしている。

夜中の12時半を過ぎたころ、ようやく列車は到着して乗り込んだ。彼らはソレントに向かうのだそうだ。こんな夜中の旅は小さい子供にはさぞつらいことだろう。

 

今日、ナポリに到着し、ようやく帰りの目途が立ちこれまでテレビを付けなかったのだが、落ち着いてニュースを見ると、リビアからの難民問題が連日賑わせていたようだ。ゴムボートに乗り切れないほどの人が乗った映像などが繰り返し移される。

いま、リビアで何が起きているのか。彼らは、それなりに恵まれた状況にあって、ボートではなく、船でカターニアに到着し、その後列車でイタリア半島に入ろうとしていたのだろうか。

小学2年生くらいのおねえちゃんが、英語で答えたとき、わたしは「英語は学校で勉強したの?」という会話を始めた。ごくごく普通の展開と思う。その次に「いまは学校は夏休みなの」と話を勧めた。だって、学校で勉強したと彼女が答えたのだから、彼女は学校に行っていると思うじゃないか。が、「英語がよく分からない」と返された。もしかして国を捨てたのなら、学校など気楽なことを言ってる場合じゃない。学校に行けるのは平和で豊かな国、豊かな家庭だけだ。もしかして、あまり事情を話すなと親から諭されているかもしれない。発言が命にかかわる国もたくさんある。何を口走っても安全な国にいると気が付かない。

たかだか10歳にもならない少女がすでにいろいろなものをしょっている。

妹はそれに比べれば無邪気で、わたしと遊ぶのに夢中。バービーふうの人形や色鉛筆やらいろいろ取り出して見せてくれる。首にはプラスチックながらネックレスをかけ、ヘアアクセサリーもカラフルで、爪にはマニュキュアをし、悲壮感や貧困が感じられないのが救いだ。ごく普通の引っ越しレベルの話であってほしい。

でも、リビア。

グーグルでもヤフーでもリビアの問題は日本ではまったく報じられない。イタリアではほぼトップニュース。

かたや、のほほんと旅をするアラカンマダム。自由に安全に旅できる幸せをかみしめる。(2018年9月25日)