ワインサロン〔応用編〕

先週の中級クラスで用意したのは、ピエモンテのDOCGをずらり

1、アルタランガ え?それなに? ですよね。2011年にDOCG認定されたピエモンテ州のスパークリングワインです。しかも、シャンパーニュと同じ瓶内2次発酵で、シャンパーニュの倍以上の36か月熟成が規定とされているスーパースパークリングです。品種もシャルドネとピノネロ(ピノノワールのイタリア名)なので、シャンパーニュと同じ。ピエモンテ州の東側、アスティ周辺の丘陵地帯で作られています。カネッリという村が中心で、ここは古くからの地下セラーがたくさんあり、世界遺産にも認定されています。シャンパーニュにも長大な洞窟セラーがあるけれど、この地下セラーが長期熟成を可能にしているんですね。

2と3  ガヴィ2本    これもDOCG。9月にガヴィの村を訪れ、周辺の畑や生産者を巡ってきたばかり。現地であれこれ飲んで、ガヴィを再評価しました。以前は夏に冷やして飲む軽いワインと思ってましたが、いえいえ、果実味と酸のバランスがよく、ミネラル感が支えている骨格のあるワインで、食事との相性もいいのが魅力。コルテーゼというこの地方だけの品種100%なので個性も十分。ラ・スコルカという名門ワイナリーの2021年を用意したのですが、これはお手本のように特徴をよく表した1本でした。そして、セラーを見てたらガヴィが1本残っていて、なんと1997年ヴィンテージ。約25年の熟成。いったいどうなってるのか、ダメもとで開けてみたら、これが実に見事に熟成していて、実においしかった。この日最大の驚きと喜びで、こういうことがあるからワインはやめられない、と思う一期一会の味わいでした。

4、バルベッラダルバ ヴィエッティ2016  バルベッラ種を使った赤で、西のアルバ界隈のバルベッラダルバと東のアスティエリアのバルベッラダスティがあります。これは、バローロの名生産者であるヴィエッティなので、じつにエレガントで洗練された仕上がり。8年ほど経ってほどよく熟成してすばらしかったです。

5、バルバレスコ 2007  締めはやはりバルバレスコ。リゼルヴァで、モンテフィコという単一畑。なにより、熟成が進んだバルバレスコの色がきれいなこと! それだけでおいしいこと間違いないと分かります。石灰土壌で、ミネラル感が強く、タンニンもしっかりしているが、きれいに角が取れてバルバレスコらしいエレガントできれいな味わい。うっとりしながら飲みました。

イタリア土産にチーズとサルーミ(サラミのこと)を合わせて、おいしゅうございました。

次回は、11月10日金曜日、また12月は12月15日金曜日を予定しています。

11月はこのところイタリアが続いたので、フランスに回帰。12月は忘年会かねてシャンパーニュをたくさん用意しますね。近年ますます値上がり激しく、昨年は品薄で手に入りにくいシャンパーニュですが、その代わり小さいRMの生産者の輸入が増えているようです。

ついに卒業! ディプロムGet・・・と思ったら !?

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この1ヶ月半は卒論にかかりきりで、家にこもりっきりで、土日もなく朝から夜中まで机に向かってひたすらフランス語と格闘していた。
首も肩も腰もガチガチになり、 こんなに集中したことが人生の中にあっただろうかというくらいだったが、なんとか締め切りぎりぎりに完成し、担当教授からもOKをもらう。
その翌日には Vinexpoヴィネクスポというワイン見本市に参加するためディジョンからボルドーに向かった。そして、帰って来たら、今度は 卒論のプレゼンのために、準備でまた3日間、家と図書館にこもった。プレゼンは15分ほどのものだから、日本語ならたやすいのだが、当然フランス語なので、わたしの語学力では説明用の原稿を新たに作ってそれを読むようにしないと無理だからだ。
教授陣の前でするプレゼンが最終の試験となり、この発表の内容込みで評価がつけられ、無事卒業できるかどうかが決まる。
ありがたいことに、お褒めの言葉を頂戴したので気分は一気に楽になった。
その翌日からは今度はパリに滞在して、誕生日を連日、いろんな人に祝ってもらった。そして、パリから戻り、卒業式、という怒涛の日々が続いた。

さて、卒業式。
会場は、シャトー・デュ・クロ・ド・ブージョChateaux du Clos de Vougeotが選ばれた。
クロドブージョといえばブルゴーニュを代表するグランクリュのワインとして知られるが、その始まりは、12世紀に創設されたシトー派の修道院がこの畑を所有し、建物内で修道士がワインを醸造していた(正確には、修道士は修道院を一歩も出ることができないので、在家出家みたいな立場の人がここでは働いていたのだが)という長い歴史を持っている。
クロ、というのは、塀に囲まれたという意味で、ぶどう畑をぐるりと石垣の塀が取り囲み、畑(ブルゴーニュ最大のグランクリュ)のまんなかに中世に建てられたお城のような建物がそびえている。ワインの知名度の高さとブドウ畑と中世の館という取り合わせが絶好の被写体で、観光客もひっきりなしに訪れる人気スポットである。
 大学の講義でも宗教とワイン、修道院とブドウ畑の関連については重要なポイントだったから、締めくくりを飾る場所としてはたいへんふさわしい。

式は、ブルゴーニュ大学ゆえのコネなのか、一般の見学コースでは入ることができない一室を借り切って執り行われた。太い木の梁の天井とシャンデリア、重厚な インテリアの室内にイスが並べられ、普段より少しだけおしゃれした学生と教授陣、もうひとつのコースと卒業生もいたから総勢30~40人くらいだろうか。なかなかよい雰囲気である。

さて、そこに教授がひとりの女性をともなって現れた。
なんと、アンヌ・グロだった。
ブルゴーニュの生産者の中でもスター的存在である。彼女が卒業式のプレゼンターを務めるのだそうだ。

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(左がアンヌ・グロ、中央が責任者のジャッキー・リゴー。『アンリ・ジャイエのワイン造り』の著書がある)

いよいよ式が始まった。
まず、教授たちの挨拶があり、その後アンヌがひとりずつ学生の名前と卒論のテーマを読み上げ、横にいる教授が卒論ついてのコメントをする(それだけ論文が重要ってこと)。
そして、アンヌが学生に卒業証書を手渡し、ビズBizeをする、という形式で行われた。わがクラスメイトのモンドヴィーノおじ、ドメーヌ・ド・モンティーユの当主ユベールもニコニコとたいそうご機嫌で受け取っていた。
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(Monde Vinoの映画の中でもこういう顔をしょっちゅうしていたと思うが、ユベールのお得意のポーズ。)

地元紙の取材もやってきたし、わたしとしては、あの苦労がやっと終わったかと思うとなんともすがすがしい気分で、気持ちも晴れやかである。

クラスメイトの大学教授(今回2人の教授が受講していた。60代。ひとりは経済、ひとりは演劇が専門)にフランスでは卒業式はこんなふうなのか、と問うと、非常にめずらしい、という答えだった。1961年の大学革命以降、儀式ばったことはまったくやらなくなったそうだ。また、以前このクラスを 受講した人に聞いても、こんなことはなかった、という。どういう変化か知らないが、わたしにとっては、とても思い出に残る体験となった。

式のあとは食事会で、こちらもかつての修道院を改装したお城のような豪華なレストランで、ワインは持ち込み。当然、ド メーヌ・モンティーユとアンヌ・グロのワインが出てきたし、クラスメイトはドメーヌ・カミュについて論文を書いたので、マジ・シャンベルタンとシャンベルタンをご相伴に預かった。日本なら会費数万円クラスのワイン会だ。ウホホホ。

たいそうご機嫌な気分で、そろそろお開きというとき、学生課の秘書の人がわたしに近づいて来て、「今週末には用意が出来るから大学にディプロムを取りに来てね」と言った。

???

じゃ、いまわたしが手に持っているのは何?

???

それはアンヌ・グロがおみやげに持参したコート・ド・ニュイのぶどう畑の地図だった。そういえば、なんだか彼女がそんなものをくれるとは説明していた気もするが・・・。

けどさぁ、卒業式で、ひとりひとり名前を呼ばれて手渡される巻物、紙筒って、どう考えても卒業証書だと思わない?
ただの記念品なら、帰りにひとり1枚ずつお持ち帰りください、とかいって、出口に積み上げておけばいいじゃん。
(なぜ最初から紙筒に入っているんだ? とか、中に書かれている名前を確認しないで渡していいのか? とか、小さい疑問がなかったわけじゃないけど、ね・・・)

完全に卒業証書だと思い込んでいたわたしは、式の後、シャトー・クロブジョをバックに記念写真を撮ってもらいました。ハイ。よくあるでしょ、卒業式で、紙筒を胸の前に抱えるポーズで。

わたしの外国語理解は、前後の文脈と状況から類推して補っている部分が多くて、これまでも勝手な思い込みでボケまくってましたが、締めくくりの晴れの舞台でも、しっかりやっちゃいました。

いつまでたってもトホホな日々です。 (2009年9月7日 記)

本物のディプロムGET

 卒業式の数日後のこと。

 大学に、ディプロムをもらいに出かけた。

 っていうか、なんで卒業式で手渡さないんだっ!

 
 聞くと、どうも、間に合わなかったらしい。
というのも論文の提出が締め切りぎりぎりの学生が多くて(わたしもそのひとり。汗)、さらに卒論のプレゼンでは担当以外の教授も加わったから、彼らの意見も加えて採点するため、時間がかかったのだそうだ。

 そう、日本の卒業証書とは違って、こっちのディプロムには成績も記載されている(汗、汗、汗)。

 実際、日本で言う「不可」、の学生もいたようだ。あるクラスでは3分の一が合格点に達していなかった。結構厳しいものだ。

 そんななか、よくがんばった、とちょっと自画自賛。
とにもかくにも、無事ディプロマも受け取り、これにて全工程終了、でありまする。
話を卒論に戻すと、なぜこんなに苦労をしたかというと、ひとえに”フランス語で書く”、その1点にあった。
 テーマも構想もとうの昔にできていたが、方法論として当初はフランス語の文献をあれこれ引用して、最初からフランス語で書き始めよう、と考えていたのが間 違いだった。図書館に通い詰め、いろいろトライしたけれど、所詮、現状の語学力では無理があった。そうこうしているうちに締め切り期限はどんどん迫り・・・。

で、方針変更して、日本語で書いてから翻訳することに。

 日本語なら書く方はプロフェッショナルなのであっという間に完成し、結構悪くないものができあがったのだが、さて、ここからが難関。フランス語への翻訳がこんなにしんどいとは。
 自慢じゃないが、いまだに男性名詞か女性名詞か、動詞の活用はどうだったか、アクサンが付くか付かないか、アクサンテギュかアクサングラーブか云々、超初級レベルが覚えられていない。日常会話ではごまかせるので真剣に取り組んでいないものだから、いつまでたっても記憶が曖昧で、したがっていちいち辞書の助けを必要とする。
 もちろんボキャが貧困だから、それにおいてもいちいち辞書が必要で、1行訳すのにも恐ろしく時間がかかる。それが何十ページも書かなくてはならない。

 

 取り掛かった当初は気が遠くなりそうで、放棄寸前であった。

 ところがですねぇ。

 語学としての仏作文の宿題は嫌いなのでやらないくせに、テーマが自分が訴えたいことだと、これが、がんばれたですなぁ。フランス人にわたしの主張を分かってもらいたくて、分かってもらうには彼らの土俵で動くしか選択肢がないので、がんばれちゃったわけです。

 辛抱とか努力という言葉が辞書にないわたしの人生なのだけど、そんななかにおいては、かなり努力した日々でありました。

 結果として、教授陣には大変おもしろい、オリジナリティがありすばらしい、とほめていただいた。さらに、プレゼンの後は、クラスメイトからも絶賛された。
 ひとつには、あんなにフランス語がダメな子がここまでよくがんばったわね、というパラリンピック的な目線があったのだろうけど、フランス人受けを狙った中味でもあったし、狙い通り!、だったので満足感もひとしお。
 あんまり好きな表現じゃないけど、自分で自分をほめてあげたい、って感じでありました。



 
 後日、ブルゴーニュの地方紙に我らが卒業式の記事が掲載された。

 記事には、「受講者には、日本人ジャーナリストがいて云々」と、なぜか学生の中でわたくしのみ特別に個人的な言及がされておりました。ヒヒヒ。

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(2009年8月2日記)

ティエリー・レンヌのヴァンダンジュ

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2009年度のシャンパーニュのヴァンダンジュは、最南端のAube地方を皮切りに、ここヴァレ・ド・ラ・マルヌの ティエリー・レンヌでは9月14日よりスタートした。
生産者の言によれば、2009年のぶどうは天候に恵まれ、病害もなく、「トレボンミレジム、ボーレザン(すばらしいヴィンテージ、とてもきれいなぶどうだ)」と絶賛するほどのいいぶどうが収穫できた。

ヴァンダンジュ期間中も毎日好天に恵まれた。朝は深い霧がかかり、とくにマルヌ川の上は真っ白な帯のように重たい霧が立ち込める。これは早朝の気温が冷え込み、水面の温度差によるもので、こういう日は間違いなく絶好の晴天になるのである。
そして、本日9月24日、10日間で延べ350人を動員し、およそ10万キロ(!)のぶどうを収穫した。摘んだぶどうは、その日のうちにすぐにプレスされ、現在はタンクで発酵がすすんでいるところである。

ただし、このあとさまざまな工程を経て瓶詰めされてからもシャンパーニュは壜内2次発酵を行い、そのまま寝かせて熟成の期間を必要とする。とくに ティエリー・レンヌはプレステージシャンパン並みに5~6年の熟成をさせているので、今年のヴィンテージが味わえるのは、まだかなり先のことになりそうである。

大本営発表 ヴァンダンジュの日程決まる!

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 本日、9月6日午後2時。シャンパーニュ地方におけるヴァンダンジュの日程が発表された。

それによると、ここValle de la Marneはピノノワールとピノムニエが9月15日、シャルドネが9月17日から、となった。

この発表で、シャンパーニュ全体がいっせいに色めき立つ。

 この家でも、知らせが入った途端に、現当主のティエリーと前当主(要はお父さんだけど)のアルマンの表情が一変した。声のトーンが上がり、なんというかエネルギーが注入されたような、同じ話をしていてもどこかうれしそうなのである。
 なにせ、ぶどう農家にとっては1年で最大のイベントである。ヴァンダンジュの成否で今年の収入が決定するのだ。興奮するのも無理はない。

 さっそく、鳩首会談が開かれる。
 議題は、当家ではいつヴァンダンジュを開始するか、である。
 というのも、シャンパーニュ委員会が決定する日時は、フライングが禁止されているだけで、この日以降ならいつ始めても構わないからだ。
 待てば待つほどにぶどうは熟するが、熟しすぎてもぶどうが傷むし、その間に雨でも降られたら品質が落ちる。開始日時の決定は多くのリスクを伴うのだ。
 
 そこで、当然すぐに畑を見に行く。
 両巨頭にくっついて、わたしも畑に向かった。

 今日は、風はさわかだし、太陽の光は透明で、空は青く、雲は白く、畑の緑は鮮やかで、シャンパーニュにいてつくづくよかった、と思える天候である。

 ぱっと見ただけで、ぶどうが先週見たときよりさらに熟しているのが分かった。1週間で1度糖度が上がるといわれているが、ヴァンダンジュ開始まで10日を切って、いままさにぶどうは摘まれんと実をぷくぷくにふくらせている。ヴァンダンジュを待つピノノワール

 収穫時期を決めるために糖度計を使う作り手もいるが、レンヌ家はのやりかたは、ぶどうを口に入れて食べて見るといういたって原始的な手法を採用。わたしも、手当たり次第につまんでみる。
ピノノワール、ピノムニエ、シャルドネのブドウ品種ごと、また畑の区画ごとに微妙に熟し具合が異なり、甘さもすっぱさも違うのがおもしろい。が、シャンパンになるぶどうは、基本的に生で食べてもおいしい。甘い。

「今年はいいミレジムになるぞ」
そう話しながら、ぶどうの出来に二人は満足の様子で戻った。

さ、これから忙しくなるぞ。

ぶどうの田植え

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坂を上っていると、見覚えのある巨躯に出会った。
ヴァンダンジュのときにお世話になったプレソワールのおじさん、ムッシュ・ポワンドロン。こわもてだけど、このあたりでは滅多にいない日本人のわたしにはやさしい。機嫌よく作業の説明をしてくれた。息子のパスカルたちと一緒にぶどうの苗を植えているそうだ。

まず、あらかじめ耕した畑に、区割りをする。
棒にタコ糸を巻きつけてピンと糸を伸ばして差し込むのは、どこでも用いられる地取りの方法だ。糸には1mごとに印がつけられている。それを縦と横で合わせて、1m四方の区画を作り、1区画に1本の苗を植え込む。
つまり、将来的には畝の幅が1m、木々の間隔が1mというぶどう畑ができることになるわけだ。
 
苗は地表に出る部分が全部ワックスに覆われている。
荒地でほっておいても勝手に葉を茂らせるたくましいブドウだが、初期のころはたいそう弱いのである。
作業を見ていると、田植えが思い起こされる。といっても、こちらの土は日本のように黒く湿り気を帯びいかにも肥沃、という印象とは対照的に、石ころだらけで乾いていて、こんなところにいきなり苗木を差し込んだからといってちゃんと根をつけるのだろうか、と疑問に思う。が、ま、大丈夫なんだろう。
苗木は全長30センチほどで、半分がワックスに覆われて、その部分までを地面に埋め込む。今回植えていたのは、シャルドネだったが、いまではぶどうの苗はすべてクローンで増やしており、より上質の血統のシャルドネ種のクローンの苗を買ってくる、ということになる。
 
ちなみに、ポワンドロンおじさんのは、ブルゴーニュの産だそうだ。AOCでは当たり前だがシャンパンと名乗っていいのはシャンパーニュ地方で採れたブドウを使い、シャンパーニュ地方で醸造するというのが最低限のルールだけど、苗はかまわないのだという。いわば、但馬の子牛を松坂で育てれば松坂牛、というのと同じ・・・かな。
作業は淡々と進み、あっというまに斜面に苗木の列が勢ぞろいした。ただ、ワックスの色が真っ赤なのである。したがって、土の上には赤い棒が突き出ているだけだ。農作物の畑というよりは、工事の作業現場な印象がないでもない。
そして、順調に行けば3年後には最初のぶどうが収穫される。