ピレネー山脈を越えるとヨーロッパではない、と言われている。フランスとスペインの国境線を1度目は大西洋側のサンジャンドリュズからサンセバスチャンへ、 2度目は地中海側のフィゲラスからペルピニャンというルートで越えたことがある。今回は、その中間、ピレネーの山中を山越えするルートをとった。
フランスのポーからスペインのカンフランへ。ローカル線とローカルバスを乗り継ぐ超がつくマイナーなルートで、きちんと乗り継げるのは一日1便のみ。そして、その1便の電車がフランスの国鉄SNCFの突然のストで欠航となった。
ここからはアドレナリンが1か月分噴出するくらいパニックが続くのだが、奇跡的にBedousという村にたどり着き、乗り継ぎのバスに無事乗ることができた。
乗客はわたしひとり。「僕はバスク人(フランス人じゃなくて)」という運転手さんとふたりきりでのんびりと山越えの道を走る。/
車窓の風景は圧倒される迫力でくぎ付けだ。
やがてEspanolの標識が現れ、あっさり国境越え。そして、カンフランクエスタシオンに到着した。
ここが今回の旅の最初のハイライトである。
1929年、ピレネーの山にトンネルを掘り、フランス~スペインを結ぶ路線が開通した。同時に、スペイン側のカンフランに巨大な駅舎が作られた。第2次大戦中はナチスの管理下におかれ、金の密輸にも使われたという。そういえば、そんなスパイ小説を読んだことがある。あれがこのルートだったのか。
戦後は廃線となり、巨大な駅舎は廃墟となり、山のタイタニック、と呼ばれた。
それがホテルへと生まれ変わったのが2022年。外観はほぼ当時のままだ。
全長240m。中央にロビーがあり、両翼に客室があるが、廊下は片側だけでも100m。わたしは中央に近い部屋だったけれど、端の部屋だとたどりつくのも大変である。
フランスへ抜けるトンネルはいまも残っているが、フェンスでふさがれている。そもそもがこんな山の中にこれほどの規模の駅舎を作る必然がよくわからないが、開通式にはスペイン国王とフランス大統領が臨席したというから、国を挙げての大事業だったのだろう。
それにしても美しいホテルだ。不自然な長さと岩山しかない山中にある様は異様ともいえるが、それだけに魅力的だ。たくさんの歴史の舞台となったこの建物での一夜は、いろいろな夢を見た。