近年、自然派とくくるワインが注目を集めている。自然派ワインの定義はかなりあいまいで、きちんと定義されたものでは農薬や添加物に規制のあるビオロジックというスタイルとそれに月の運行などを加味したビオディナミという作り方には明確な定義があり、EUでは認定機関があり、ワインにはその認証機関のマークをつけることも認められている。
思うにこういう細かい定義は一般の人には分かりにくく、とにかく自然のまま、みたいな感じが受け入れられやすいのかと思う。ヴァン・ナチュールと呼ばれるが、じつにあいまいなカテゴライズで、なんだか環境にやさしそう、体によさそう、という雰囲気だけで爆発的にひろまっている印象だ。
ありのまま、手を加えない、というのは耳障りのいい言葉だが、これらの自然派の特徴のもうひとつは、たいしたことのないワイン産地のワイン、というものだ。
本日のも、たとえば、ポルトパベーゼ。
イタリアといえば、まずはバローロ、バルバレスコを擁するピエモンテ、キャンティやブルネッロディモンタルチーノのあるトスカーナが代表的だろうか。ほかにも、ヴェネトやシチリアあたりがイタリアのDOC,DOCGの指定もこのあたりに集中している。
本日のワインたちはこれらのカテゴライズには当てはまらない。
評価していないのになぜ訪れたか、といえば、こういうワインをおいしいという人たちの反応を知りたかった、というのがある。実際、知らない産地ばかりだったし、インポーターさんもこれまでであったことのないところばかり。同じワイン業界でもそこには違う一派がある、そんな感じ。
さて、肝心の味だが、自然派、と名乗るワインの共通項はある。土壌の味わいが薄い。つまり複雑さがない。そうか、自然派がおいしい、という人たちはこういうシンプルな味がすぐれている、と考えているのだろうか。ブドウの樹齢も若いし、半分以上のワインはビオビオしていた。いわゆるビオ臭という臭い。これをおいしいという人たちが分からないけれど、わたしがひどいと思いながら試飲していた横で、なんてエレガントできれいな味わい、と感嘆の声を上げていた人たちがいた。
うーむ。
ワインを扱うことを商売としているのに、自然派が理解できない。というか、自然派を良しとする人の味覚が理解できない。自然派、つまりは無農薬、無添加で作っている生産者はブルゴーニュの有名どころにもたくさんいる。厳格なビオディナミを実践しているところも多い。が、最大の違いは、彼らが自然派をアピールしないことだ。あくまでも味わい、ワインの品質で勝負している。そして間違いなくおいしい。
ワインはこれまで、土壌や畑の場所、ブドウの品質で勝負してきた。が、本日の自然派の人々は畑を自慢できない。なぜならたいしたことがない場所だからだ。勝負する土俵が違うのである。うーむ、悩むなぁ。それでいて、大して安くないのがまた使いづらい点でもある。こんなにぱっとしない産地でいい値段を取るのだ。自然派、というだけで。納得できないけれど、すでにファンがたくさんいるわけで、プロとしてどうとらえるか、このまま無視していいのか、という課題を突き付けられた思いである。