卒業式の数日後のこと。
大学に、ディプロムをもらいに出かけた。
っていうか、なんで卒業式で手渡さないんだっ!
聞くと、どうも、間に合わなかったらしい。
というのも論文の提出が締め切りぎりぎりの学生が多くて(わたしもそのひとり。汗)、さらに卒論のプレゼンでは担当以外の教授も加わったから、彼らの意見も加えて採点するため、時間がかかったのだそうだ。
そう、日本の卒業証書とは違って、こっちのディプロムには成績も記載されている(汗、汗、汗)。
実際、日本で言う「不可」、の学生もいたようだ。あるクラスでは3分の一が合格点に達していなかった。結構厳しいものだ。
そんななか、よくがんばった、とちょっと自画自賛。
とにもかくにも、無事ディプロマも受け取り、これにて全工程終了、でありまする。
話を卒論に戻すと、なぜこんなに苦労をしたかというと、ひとえに”フランス語で書く”、その1点にあった。
テーマも構想もとうの昔にできていたが、方法論として当初はフランス語の文献をあれこれ引用して、最初からフランス語で書き始めよう、と考えていたのが間 違いだった。図書館に通い詰め、いろいろトライしたけれど、所詮、現状の語学力では無理があった。そうこうしているうちに締め切り期限はどんどん迫り・・・。
で、方針変更して、日本語で書いてから翻訳することに。
日本語なら書く方はプロフェッショナルなのであっという間に完成し、結構悪くないものができあがったのだが、さて、ここからが難関。フランス語への翻訳がこんなにしんどいとは。
自慢じゃないが、いまだに男性名詞か女性名詞か、動詞の活用はどうだったか、アクサンが付くか付かないか、アクサンテギュかアクサングラーブか云々、超初級レベルが覚えられていない。日常会話ではごまかせるので真剣に取り組んでいないものだから、いつまでたっても記憶が曖昧で、したがっていちいち辞書の助けを必要とする。
もちろんボキャが貧困だから、それにおいてもいちいち辞書が必要で、1行訳すのにも恐ろしく時間がかかる。それが何十ページも書かなくてはならない。
取り掛かった当初は気が遠くなりそうで、放棄寸前であった。
ところがですねぇ。
語学としての仏作文の宿題は嫌いなのでやらないくせに、テーマが自分が訴えたいことだと、これが、がんばれたですなぁ。フランス人にわたしの主張を分かってもらいたくて、分かってもらうには彼らの土俵で動くしか選択肢がないので、がんばれちゃったわけです。
辛抱とか努力という言葉が辞書にないわたしの人生なのだけど、そんななかにおいては、かなり努力した日々でありました。
結果として、教授陣には大変おもしろい、オリジナリティがありすばらしい、とほめていただいた。さらに、プレゼンの後は、クラスメイトからも絶賛された。
ひとつには、あんなにフランス語がダメな子がここまでよくがんばったわね、というパラリンピック的な目線があったのだろうけど、フランス人受けを狙った中味でもあったし、狙い通り!、だったので満足感もひとしお。
あんまり好きな表現じゃないけど、自分で自分をほめてあげたい、って感じでありました。
後日、ブルゴーニュの地方紙に我らが卒業式の記事が掲載された。
記事には、「受講者には、日本人ジャーナリストがいて云々」と、なぜか学生の中でわたくしのみ特別に個人的な言及がされておりました。ヒヒヒ。
 (2009年8月2日記)