フィリポナの矜持

クロ・デ・ゴワスは、シャンパーニュ地方では稀有な「畑名」を冠したシャンパンである。16世紀に遡る歴史を持つメゾン、フィリポナの最高級キュベとして知られている。

AOC原産地呼称の制度が厳格なフランスにおいて、シャンパーニュ地方だけは例外のルールが多く、基本的には、シャンパーニュ地方の全エリアで栽培されているブドウを使えば、それはすべてシャンパーニュと名乗れる。メゾンの隣の畑だろうが、100キロ離れた畑だろうが、斜面だろうが、平地だろうが、好き勝手に混ぜても構わない。
グランクリュが17の村に、プルミエクリュが38村規定されてはいるのだが、これもまた村に対しての指定であって、その村の区域にありさえすれば北向き斜面だろうが、水はけの悪いフラットな場所だろうがグランクリュを名乗ることができる。
ブルゴーニュのグランクリュと混同する人も多いかもしれないが、これはシャンパーニュ独自のルールだ。
ブルゴーニュでは、中世において特にシトー派の修道僧たちが長い歳月をかけてそれぞれの区画ごとの違いを極め、ワインの質を磨き上げてきた。
一方、シャンパーニュでは、かのドン・ペリニヨン修道僧が、やはり畑ごとに出来るワインが異なることを突き止めた。しかしながら、彼はそれらを混ぜることによってよりおいしいワインを造るという方向に進んだ。シャンパーニュはブドウ栽培の北限にあり、年によっての出来不出来も大きく、それを組み合わせることにより安定した味わいを作り出すという手法を確立したのである。
したがって、単一の畑だけのぶどうでワインを造る、畑名を名乗るというのが、シャンパーニュにおいてどれだけめずらしいかが容易にわかる。そもそもそういう発想がない地域だからだ。しかし、フィリポナは、それをすでに1935年に始めていた。

先日、フィリポナの当主、シャルル・フィリポナ氏が来日し、話す機会を得た。小柄で、細身、やさしい笑顔が印象的な、当主は、数えきれないほど聞かれたであろうクロデゴワスに関して繰り出すわたしの質問にもていねいに答えてくれた。
えっ?と思わず聞き返したのは、「50%しか使わない」と言ったときだ。クロデゴワスの畑から造られていてもその半分程度しか、クロデゴワスのシャンパーニュにはしない、というのだ。
クロデゴワスの名声を保つためには、下手な出来のブドウを混ぜるわけにはいかない、という。下手な出来といったって、そもそもグランクリュのアイ村にあり、そのなかでももっとも恵まれている畑なのだから、基本的に高品質のブドウであるはずなのに。
素人考えでは、ルール上全部のブドウを使うことは可能だし、そうすればクロデゴワスの生産量が増える。もっとも高い値段で売れるシャンパーニュだ。下世話な言い方をすれば、もっと儲かるじゃない、と思う。しかも偽装でも水増しでもなんでもなく、ごく正当な商品にできるはずなのに、である。
しかし、当主はそれをしないという。何と立派な。
結構感激して帰ってきたのだが、落ち着いて資料を読み返したら、クロデゴワスの面積が5.6ヘクタールとあった。
うっ。意外に広い。
ロマネコンティ1.8ヘクタール、ラ・ロマネ0.8haが思い浮かんだからだ。
いや、ブルゴーニュと比べちゃいけない。例えば、オーパスワンは68ヘクタールもあり、でもそのうちの7割くらいしか使わないと自慢げに語っている。
うん、やっぱり大変良心的。
長い歴史の間ずっとブランドを保ち続けることがどれだけたいへんなことか。
老舗メゾンの矜持がそこにあった。

ガレットデロワとシャンパンのボトル

新年になり、近所のケーキ屋さんで、ガレットデロワが売っていた。
いやぁ、こんなお菓子も日本で見かけるようになったんだねぇ、とフランスを懐かしく思いだし、一方で、いったい日本人はどれだけキリスト教の行事が好きなんだ、と突っ込みたくもなる。

というのも、これはエピファニーで食べるお菓子だからだ。
ね、エピファニーなんて知らないでしょ?

エピファニーとは、キリスト教の行事で、日本語では公現祭と呼ばれるようだが、1月6日または1月2日から8日の間の主日(日曜日)に、キリストの誕生を祝い、当方の三博士(三賢人)が訪れたという、聖書の記述に基づく。

フランスでは、年が明けると一斉に街中にこのガレットがあふれ出す。
クリスマスツリーも新年になってもまだ見かけるので、間が抜けた感じがするが、このエピファニーの日をを持って片づける。クリスマスに始まるキリスト誕生の祝いがここで収束するのである。日本で言えば、鏡開きか、松飾りを燃やすどんど焼きのような位置づけになるんでしょうか。

ガレットデロワ。ディジョンのケーキ屋さんにて。
ガレットデロワ。パイ生地にアーモンドのマジパンの中身で、いたってシンプルな見た目と味だ。ロワとは王様の意味で、紙で作った王冠をデコレーションしているのがポイント。Dijonディジョンのケーキ屋さんにて。

で、このガレットデロワ。見た目はいたって地味だが、実は楽しい仕掛けがある。
中に今はやりの“異物”が入っているのだ。
フェーブと呼ばれ、フェーブはそら豆の意味でもともとは本物のそら豆が入っていたが、いまはグリコのおまけのような2センチほどの小さい人形などが入っている。
みんなでホールのガレットを切り分けて食べると、中にフェーブが入っていた一切れにあたった人が王様、という趣向である。

ケーキのなかにはいっているフェーブたち。雪の中において撮ってみました。ホームステイ先のマダムがコレクションしてた。
ケーキのなかにはいっているフェーブたち。雪の中において撮ってみました。ホームステイ先のマダムがコレクションしてた。

これをコレクションしている人も多く、骨董市にいくと、フェーブのアンティークをよく見かける。

さて、これがなぜシャンパンと関係するのか。

シャンパンのボトルはサイズごとに名前があるのをご存じだろうか。
通常の2倍の大きさをマグナムと呼ぶのはまぁまぁ知られているだろうけれど、それ以上に大きいボトルが存在する。
2本分、4本分と続き最終的には20本分にあたるサイズまで作られている。そして、それぞれに呼び名があるのだが、12リットル入り、ボトル16本分のサイズをバルタザールと呼ぶ。

これが、エピファニーの由来となった、キリストの誕生を祝いに訪れた、東方の三博士の名前なのである。

いつ誰がボトルにこのような名前を命名したのかは定かではないが、シャンパーニュ自体が誕生したのが17世紀後半、ガラス瓶が普及したのが18世紀と近年のことだから、長い歳月の間にいつの間にかそういう慣わしになっていた、というのではなく、名付けた人がいるはずである。
他のサイズも、ナビュコドノゾールとか、マチュザレムとか、舌をかみそうな、覚えずらい名前ばかり。しかし、いずれもバビロニア王とか、アッシリア王とか旧約聖書から選び出したもので、威厳や迫力を感じるネーミングだ。
もしこれが、一升瓶のように、12リットル瓶、20リットル瓶などと普通に呼ばれていたらどうだっただろう。

後発のワインであるシャンパーニュの歴史を見ると、つねづね宣伝のうまさに感心してしまうのだが、巨大なボトルにものものしい名前をひとつひとつつけるアイデアもまた、なんといいセンスをしているのかと脱帽してしまう。

イルミネーションに輝くシャンパーニュ大通り ー 光の祭典

シャンパンは、12月ひと月で、年間の半分を売り上げるといわれている。フランス人にとってもやはりシャンパンは特別なお酒で、何よりノエル(クリスマス)には絶対欠かせない存在なのである。
そんなクリスマスを前に、シャンパーニュの中心地エペルネで、ある祭りが開かれる。
Habits de Lumie`reといい、光の祭典とでも訳せるだろうか。
12月の中旬に3日間行われるのだが、わたしはその初日の夜に訪れたことがある。

会場は、シャンパーニュの都と呼ばれるエペルネの、その名もシャンパーニュ大通り。だれもが知ってるモエテシャンドンを皮切りに、ペリエジュエ、ドヴノージュ、カスティリレンヌなどグランメゾンの建物が並んでいる。まさに貴族の館と呼ぶにふさわしいたたずまいで、シャンパンがいかに多くの富を生んだか、その象徴の通りでもある。
夕方、すでに暗くなった通りに向かうと、気球が目についた。シャンパンのコルク型をした熱気球が浮かぼうとしている。これはモエテシャンドンの広告。相変わらず「うまいなぁ」と思う。後発のワインであったシャンパンはさまざまなアイデアで宣伝をしてきた。現在でも、ボトルの半分は広告費?と揶揄されるほど、いまも広告宣伝の手をゆるめることはない。

巨大なシャンパンのコルクにびっくり!
巨大なシャンパンのコルクにびっくり!

日ごろは、扉を閉ざしているところが多いが、この日だけは、すべてオープン。また、扉や建物にイルミネーションが飾られ、一層の華やかさを増している。そして、メゾンのシャンパンが飲めるバーが設けられている。

しかし、だ。
たしかに、日ごろは通りから指をくわえて眺めているだけのメゾンの敷地に入ることができ、シャンパンも味わえるのは魅力だが、考えても見てほしい。
12月だ。
夜だ。
ワインの北限といわれるシャンパーニュ地方だ。
気温は軽く0度を下回っている。この環境でシャンパンを飲むのは、たとえテントで少し冷気が遮られているとはいえ、なんだか、盛り上がらないなぁ・・・。

イルミネーションでいちだんと華やぐシャンパーニュ大通り
イルミネーションでいちだんと華やぐシャンパーニュ大通り

と思っていたが、実はわたしは特別なインヴィテーションパスを用意してもらっていた。持つべきものは関係者の友人だ。そして、それがあると建物の敷地内、ではなく、建物の中に入ることができる。もちろん一般の人は不可で、入り口でチェックがある。

すると。

なかには、ドレスアップした紳士淑女が優雅にシャンパングラスを傾け・・・と想像していたら、予想外に田舎のおじさんおばさんという人たちであふれていた。
彼らはだれなのか。

ブドウ栽培農家の人たちなのである。

恒常的にぶどうの品不足にあるグランメゾンにとって、ぶどうを供給してくれる生産者の人たちは何より大切にしたい取引先なのである。
シャンパンの生産量は年々増加しているが、畑の面積と収穫量は法律で厳格に定められているので増えようがない。良質の畑、良質のぶどうを作れる生産者はもっと限定されている。メゾンにとってブドウの確保は最重要課題なのだ。
かつては、大地主(グランメゾン)が小作人(ブドウ農家)から搾取するといった構図があり、暴動が起きたほどだったがいまやその関係は大きく変貌している。

モエ・エ・シャンドン、ポールロジェ、ボワゼル、ドゥヴノージュ・・・
凍りつく戸外でもなお楽しそうにシャンパンを愉しんでいる人たちには申し訳ないが、わたしは、ぬくぬくとした室内で、貴族の館らしい優雅な家具調度に囲まれ、普段は会うことも難しいメゾンの当主や醸造責任者からもてなしを受け、思う存分シャンパンを味わった。

冬のシャンパーニュを盛り上げるお祭りは、実は関係者に対する接待企画でもあったのである。

いい思いして、ごめんね。
でも、楽しかったぁ。

見事な秋晴れ。気持ちも弾むヴァンダンジュ
En Champagne, il est beau temps tous les jours.

絵に描いたような青い空と白い雲。シャンパーニュは今日もいい天気!
絵に描いたような青い空と白い雲。シャンパーニュは今日もいい天気!

9月に入ってからのシャンパーニュは、うっとりするほどの好天が続いている。朝は冷え込むのだが、そういう日というのは晴れを約束されていて、太陽が昇るにつれぐんぐん気温が上昇する。
空はまさに抜けるような青空で、ぽっかりと白い雲が浮かぶ。見渡す限りのブドウ畑は、緑のじゅうたんを広げたようだ。
湿度が低いから風は爽やかで、ぼんやりと風景を眺めているだけで飽きることがない。

過去2年のフランスは不順な気候で収穫量も少なかったのだが、今年はぶどうが大きく実り、糖度もたっぷり。摘み取ったぶどうを入れるケースがあっという間に満杯になる。
これをすぐにプレスして果汁にするのだが、その仕事をするプレソワーは大量のブドウを前に大忙しだ。

 

艶々と輝くぶどうたち。太陽を浴びて糖度もたっぷりだ。
艶々と輝くぶどうたち。太陽を浴びて糖度もたっぷりだ。

シャンパーニュ・ティエリー・レンヌでは、33人の働き手を雇い、15日から収穫を始めた。
作業は順調で、友人やいとこたちも休暇を取って助っ人に来た。働き手の中にも、毎年やってくる人たちもいる。なかには25年前からとか、親子2世代に渡って、という人も。
朝、昼、晩と大勢で食事をして、わいわいがやがや。

田舎のないわたしには経験がないが、お盆やお祭りのときみたいな気がする。忙しいけれど、みんなどことなくうれしそうなのだ。
そんな雰囲気のおすそ分けに預かって、わたしもヴァンダンジュを楽しんでいる。

ティエリー・レンヌのヴァンダンジュ 2014

今年の夏は寒かった、と誰に会っても言う。7月、8月ともにほとんど毎日のように雨が降り、最低気温が1度(真夏にだ)を記録した日もあった。暖炉に火をくべた、という話も聞いた。もちろんブドウにはあまりよろしくない。

ところが、9月に入り、一転。夏のような日差しが照り付ける日が続いたのだ。
ここで、ちょっと自己PRをすると、わたしはものすごい晴れ女で、今回もちょうど8月末に日本を出発。事前に調べたらあまりに寒そうなので暖かい服をいっぱい持ってきたのにタンクトップとゴムゾウリでよかった。
以後、ただただ好天の毎日。晴れ女の実績がまた増えた。

ヴァンダンジュ直前のシャンパーニュ。嵐の前の静けさ、だ。
ヴァンダンジュ直前のシャンパーニュ。嵐の前の静けさ、だ。

さて、ヴァンダンジュの日程は、公式に決められる。300近い村のそれぞれで、シャンパーニュを作るのに認められている3種類のブドウ、すなわちシャルドネ、ピノノワール、ピノムニエそれぞれの日時が指定されるのである。
生産者は、これより早く始めてはいけないが、遅くするのは構わない。

シャンパーニュ・ティエリー・レンヌのあるヴァレドラマルヌ地区では、ピノムニエが9月12日より、ピノノワールが9月15日、シャルドネが9月17日からと決まった。そして、レンヌ家では、9月15日月曜をスタートすることに決定したのである。

こんなミニサイズの絞り器でブドウ果汁を絞り、糖度や酸度をチェックする
こんなミニサイズの絞り器でブドウ果汁を絞り、糖度や酸度をチェックする

9月に入ってからの晴天で1週間で糖度が2度も上がったそうだ。あと1週間、この後の天候も晴れが続くと予報されており、さらによく熟したブドウになるはずだ。 8月の寒さのことなどみんな忘れてしまったようで、楽しみなミレジムになるとだれもが顔をほころばせている。