わたしのシャンパーニュでの定点観測地点。
朝7時。外は霧がたちこめ真っ白。気温は4度。真冬か!
しかし、こういう朝は、この後天気が良くなる知らせ。3時間後の写真が次。
気温もぐんぐん上がり22度に。朝は、ダウンを着込み、マフラーや手袋で完全武装していたヴァンダンジュの働き手たちも、いつのまにか、短パン、Tシャツで汗びっしょりになっていた。
この気温差がぶどうの糖度を高め酸を保持し、おいしいシャンパーニュにつながるのである。
シャンパーニュの小さな作り手から届きました。ティエリー・レンヌから立ち上る泡は至福のひと時を…
わたしのシャンパーニュでの定点観測地点。
朝7時。外は霧がたちこめ真っ白。気温は4度。真冬か!
しかし、こういう朝は、この後天気が良くなる知らせ。3時間後の写真が次。
気温もぐんぐん上がり22度に。朝は、ダウンを着込み、マフラーや手袋で完全武装していたヴァンダンジュの働き手たちも、いつのまにか、短パン、Tシャツで汗びっしょりになっていた。
この気温差がぶどうの糖度を高め酸を保持し、おいしいシャンパーニュにつながるのである。
新年になり、近所のケーキ屋さんで、ガレットデロワが売っていた。
いやぁ、こんなお菓子も日本で見かけるようになったんだねぇ、とフランスを懐かしく思いだし、一方で、いったい日本人はどれだけキリスト教の行事が好きなんだ、と突っ込みたくもなる。
というのも、これはエピファニーで食べるお菓子だからだ。
ね、エピファニーなんて知らないでしょ?
エピファニーとは、キリスト教の行事で、日本語では公現祭と呼ばれるようだが、1月6日または1月2日から8日の間の主日(日曜日)に、キリストの誕生を祝い、当方の三博士(三賢人)が訪れたという、聖書の記述に基づく。
フランスでは、年が明けると一斉に街中にこのガレットがあふれ出す。
クリスマスツリーも新年になってもまだ見かけるので、間が抜けた感じがするが、このエピファニーの日をを持って片づける。クリスマスに始まるキリスト誕生の祝いがここで収束するのである。日本で言えば、鏡開きか、松飾りを燃やすどんど焼きのような位置づけになるんでしょうか。
で、このガレットデロワ。見た目はいたって地味だが、実は楽しい仕掛けがある。
中に今はやりの“異物”が入っているのだ。
フェーブと呼ばれ、フェーブはそら豆の意味でもともとは本物のそら豆が入っていたが、いまはグリコのおまけのような2センチほどの小さい人形などが入っている。
みんなでホールのガレットを切り分けて食べると、中にフェーブが入っていた一切れにあたった人が王様、という趣向である。
これをコレクションしている人も多く、骨董市にいくと、フェーブのアンティークをよく見かける。
さて、これがなぜシャンパンと関係するのか。
シャンパンのボトルはサイズごとに名前があるのをご存じだろうか。
通常の2倍の大きさをマグナムと呼ぶのはまぁまぁ知られているだろうけれど、それ以上に大きいボトルが存在する。
2本分、4本分と続き最終的には20本分にあたるサイズまで作られている。そして、それぞれに呼び名があるのだが、12リットル入り、ボトル16本分のサイズをバルタザールと呼ぶ。
これが、エピファニーの由来となった、キリストの誕生を祝いに訪れた、東方の三博士の名前なのである。
いつ誰がボトルにこのような名前を命名したのかは定かではないが、シャンパーニュ自体が誕生したのが17世紀後半、ガラス瓶が普及したのが18世紀と近年のことだから、長い歳月の間にいつの間にかそういう慣わしになっていた、というのではなく、名付けた人がいるはずである。
他のサイズも、ナビュコドノゾールとか、マチュザレムとか、舌をかみそうな、覚えずらい名前ばかり。しかし、いずれもバビロニア王とか、アッシリア王とか旧約聖書から選び出したもので、威厳や迫力を感じるネーミングだ。
もしこれが、一升瓶のように、12リットル瓶、20リットル瓶などと普通に呼ばれていたらどうだっただろう。
後発のワインであるシャンパーニュの歴史を見ると、つねづね宣伝のうまさに感心してしまうのだが、巨大なボトルにものものしい名前をひとつひとつつけるアイデアもまた、なんといいセンスをしているのかと脱帽してしまう。
シャンパンは、12月ひと月で、年間の半分を売り上げるといわれている。フランス人にとってもやはりシャンパンは特別なお酒で、何よりノエル(クリスマス)には絶対欠かせない存在なのである。
そんなクリスマスを前に、シャンパーニュの中心地エペルネで、ある祭りが開かれる。
Habits de Lumie`reといい、光の祭典とでも訳せるだろうか。
12月の中旬に3日間行われるのだが、わたしはその初日の夜に訪れたことがある。
会場は、シャンパーニュの都と呼ばれるエペルネの、その名もシャンパーニュ大通り。だれもが知ってるモエテシャンドンを皮切りに、ペリエジュエ、ドヴノージュ、カスティリレンヌなどグランメゾンの建物が並んでいる。まさに貴族の館と呼ぶにふさわしいたたずまいで、シャンパンがいかに多くの富を生んだか、その象徴の通りでもある。
夕方、すでに暗くなった通りに向かうと、気球が目についた。シャンパンのコルク型をした熱気球が浮かぼうとしている。これはモエテシャンドンの広告。相変わらず「うまいなぁ」と思う。後発のワインであったシャンパンはさまざまなアイデアで宣伝をしてきた。現在でも、ボトルの半分は広告費?と揶揄されるほど、いまも広告宣伝の手をゆるめることはない。
日ごろは、扉を閉ざしているところが多いが、この日だけは、すべてオープン。また、扉や建物にイルミネーションが飾られ、一層の華やかさを増している。そして、メゾンのシャンパンが飲めるバーが設けられている。
しかし、だ。
たしかに、日ごろは通りから指をくわえて眺めているだけのメゾンの敷地に入ることができ、シャンパンも味わえるのは魅力だが、考えても見てほしい。
12月だ。
夜だ。
ワインの北限といわれるシャンパーニュ地方だ。
気温は軽く0度を下回っている。この環境でシャンパンを飲むのは、たとえテントで少し冷気が遮られているとはいえ、なんだか、盛り上がらないなぁ・・・。
と思っていたが、実はわたしは特別なインヴィテーションパスを用意してもらっていた。持つべきものは関係者の友人だ。そして、それがあると建物の敷地内、ではなく、建物の中に入ることができる。もちろん一般の人は不可で、入り口でチェックがある。
すると。
なかには、ドレスアップした紳士淑女が優雅にシャンパングラスを傾け・・・と想像していたら、予想外に田舎のおじさんおばさんという人たちであふれていた。
彼らはだれなのか。
ブドウ栽培農家の人たちなのである。
恒常的にぶどうの品不足にあるグランメゾンにとって、ぶどうを供給してくれる生産者の人たちは何より大切にしたい取引先なのである。
シャンパンの生産量は年々増加しているが、畑の面積と収穫量は法律で厳格に定められているので増えようがない。良質の畑、良質のぶどうを作れる生産者はもっと限定されている。メゾンにとってブドウの確保は最重要課題なのだ。
かつては、大地主(グランメゾン)が小作人(ブドウ農家)から搾取するといった構図があり、暴動が起きたほどだったがいまやその関係は大きく変貌している。
モエ・エ・シャンドン、ポールロジェ、ボワゼル、ドゥヴノージュ・・・
凍りつく戸外でもなお楽しそうにシャンパンを愉しんでいる人たちには申し訳ないが、わたしは、ぬくぬくとした室内で、貴族の館らしい優雅な家具調度に囲まれ、普段は会うことも難しいメゾンの当主や醸造責任者からもてなしを受け、思う存分シャンパンを味わった。
冬のシャンパーニュを盛り上げるお祭りは、実は関係者に対する接待企画でもあったのである。
いい思いして、ごめんね。
でも、楽しかったぁ。
9月に入ってからのシャンパーニュは、うっとりするほどの好天が続いている。朝は冷え込むのだが、そういう日というのは晴れを約束されていて、太陽が昇るにつれぐんぐん気温が上昇する。
空はまさに抜けるような青空で、ぽっかりと白い雲が浮かぶ。見渡す限りのブドウ畑は、緑のじゅうたんを広げたようだ。
湿度が低いから風は爽やかで、ぼんやりと風景を眺めているだけで飽きることがない。
過去2年のフランスは不順な気候で収穫量も少なかったのだが、今年はぶどうが大きく実り、糖度もたっぷり。摘み取ったぶどうを入れるケースがあっという間に満杯になる。
これをすぐにプレスして果汁にするのだが、その仕事をするプレソワーは大量のブドウを前に大忙しだ。
シャンパーニュ・ティエリー・レンヌでは、33人の働き手を雇い、15日から収穫を始めた。
作業は順調で、友人やいとこたちも休暇を取って助っ人に来た。働き手の中にも、毎年やってくる人たちもいる。なかには25年前からとか、親子2世代に渡って、という人も。
朝、昼、晩と大勢で食事をして、わいわいがやがや。
田舎のないわたしには経験がないが、お盆やお祭りのときみたいな気がする。忙しいけれど、みんなどことなくうれしそうなのだ。
そんな雰囲気のおすそ分けに預かって、わたしもヴァンダンジュを楽しんでいる。
今年の夏は寒かった、と誰に会っても言う。7月、8月ともにほとんど毎日のように雨が降り、最低気温が1度(真夏にだ)を記録した日もあった。暖炉に火をくべた、という話も聞いた。もちろんブドウにはあまりよろしくない。
ところが、9月に入り、一転。夏のような日差しが照り付ける日が続いたのだ。
ここで、ちょっと自己PRをすると、わたしはものすごい晴れ女で、今回もちょうど8月末に日本を出発。事前に調べたらあまりに寒そうなので暖かい服をいっぱい持ってきたのにタンクトップとゴムゾウリでよかった。
以後、ただただ好天の毎日。晴れ女の実績がまた増えた。
さて、ヴァンダンジュの日程は、公式に決められる。300近い村のそれぞれで、シャンパーニュを作るのに認められている3種類のブドウ、すなわちシャルドネ、ピノノワール、ピノムニエそれぞれの日時が指定されるのである。
生産者は、これより早く始めてはいけないが、遅くするのは構わない。
シャンパーニュ・ティエリー・レンヌのあるヴァレドラマルヌ地区では、ピノムニエが9月12日より、ピノノワールが9月15日、シャルドネが9月17日からと決まった。そして、レンヌ家では、9月15日月曜をスタートすることに決定したのである。
9月に入ってからの晴天で1週間で糖度が2度も上がったそうだ。あと1週間、この後の天候も晴れが続くと予報されており、さらによく熟したブドウになるはずだ。 8月の寒さのことなどみんな忘れてしまったようで、楽しみなミレジムになるとだれもが顔をほころばせている。
2009年度のシャンパーニュのヴァンダンジュは、最南端のAube地方を皮切りに、ここヴァレ・ド・ラ・マルヌの ティエリー・レンヌでは9月14日よりスタートした。
生産者の言によれば、2009年のぶどうは天候に恵まれ、病害もなく、「トレボンミレジム、ボーレザン(すばらしいヴィンテージ、とてもきれいなぶどうだ)」と絶賛するほどのいいぶどうが収穫できた。
ヴァンダンジュ期間中も毎日好天に恵まれた。朝は深い霧がかかり、とくにマルヌ川の上は真っ白な帯のように重たい霧が立ち込める。これは早朝の気温が冷え込み、水面の温度差によるもので、こういう日は間違いなく絶好の晴天になるのである。
そして、本日9月24日、10日間で延べ350人を動員し、およそ10万キロ(!)のぶどうを収穫した。摘んだぶどうは、その日のうちにすぐにプレスされ、現在はタンクで発酵がすすんでいるところである。
ただし、このあとさまざまな工程を経て瓶詰めされてからもシャンパーニュは壜内2次発酵を行い、そのまま寝かせて熟成の期間を必要とする。とくに ティエリー・レンヌはプレステージシャンパン並みに5~6年の熟成をさせているので、今年のヴィンテージが味わえるのは、まだかなり先のことになりそうである。
本日、9月6日午後2時。シャンパーニュ地方におけるヴァンダンジュの日程が発表された。
それによると、ここValle de la Marneはピノノワールとピノムニエが9月15日、シャルドネが9月17日から、となった。
この発表で、シャンパーニュ全体がいっせいに色めき立つ。
この家でも、知らせが入った途端に、現当主のティエリーと前当主(要はお父さんだけど)のアルマンの表情が一変した。声のトーンが上がり、なんというかエネルギーが注入されたような、同じ話をしていてもどこかうれしそうなのである。
なにせ、ぶどう農家にとっては1年で最大のイベントである。ヴァンダンジュの成否で今年の収入が決定するのだ。興奮するのも無理はない。
さっそく、鳩首会談が開かれる。
議題は、当家ではいつヴァンダンジュを開始するか、である。
というのも、シャンパーニュ委員会が決定する日時は、フライングが禁止されているだけで、この日以降ならいつ始めても構わないからだ。
待てば待つほどにぶどうは熟するが、熟しすぎてもぶどうが傷むし、その間に雨でも降られたら品質が落ちる。開始日時の決定は多くのリスクを伴うのだ。
そこで、当然すぐに畑を見に行く。
両巨頭にくっついて、わたしも畑に向かった。
今日は、風はさわかだし、太陽の光は透明で、空は青く、雲は白く、畑の緑は鮮やかで、シャンパーニュにいてつくづくよかった、と思える天候である。
ぱっと見ただけで、ぶどうが先週見たときよりさらに熟しているのが分かった。1週間で1度糖度が上がるといわれているが、ヴァンダンジュ開始まで10日を切って、いままさにぶどうは摘まれんと実をぷくぷくにふくらせている。ヴァンダンジュを待つピノノワール
収穫時期を決めるために糖度計を使う作り手もいるが、レンヌ家はのやりかたは、ぶどうを口に入れて食べて見るといういたって原始的な手法を採用。わたしも、手当たり次第につまんでみる。
ピノノワール、ピノムニエ、シャルドネのブドウ品種ごと、また畑の区画ごとに微妙に熟し具合が異なり、甘さもすっぱさも違うのがおもしろい。が、シャンパンになるぶどうは、基本的に生で食べてもおいしい。甘い。
「今年はいいミレジムになるぞ」
そう話しながら、ぶどうの出来に二人は満足の様子で戻った。
さ、これから忙しくなるぞ。
坂を上っていると、見覚えのある巨躯に出会った。
ヴァンダンジュのときにお世話になったプレソワールのおじさん、ムッシュ・ポワンドロン。こわもてだけど、このあたりでは滅多にいない日本人のわたしにはやさしい。機嫌よく作業の説明をしてくれた。息子のパスカルたちと一緒にぶどうの苗を植えているそうだ。
まず、あらかじめ耕した畑に、区割りをする。
棒にタコ糸を巻きつけてピンと糸を伸ばして差し込むのは、どこでも用いられる地取りの方法だ。糸には1mごとに印がつけられている。それを縦と横で合わせて、1m四方の区画を作り、1区画に1本の苗を植え込む。
つまり、将来的には畝の幅が1m、木々の間隔が1mというぶどう畑ができることになるわけだ。
苗は地表に出る部分が全部ワックスに覆われている。
荒地でほっておいても勝手に葉を茂らせるたくましいブドウだが、初期のころはたいそう弱いのである。
作業を見ていると、田植えが思い起こされる。といっても、こちらの土は日本のように黒く湿り気を帯びいかにも肥沃、という印象とは対照的に、石ころだらけで乾いていて、こんなところにいきなり苗木を差し込んだからといってちゃんと根をつけるのだろうか、と疑問に思う。が、ま、大丈夫なんだろう。
苗木は全長30センチほどで、半分がワックスに覆われて、その部分までを地面に埋め込む。今回植えていたのは、シャルドネだったが、いまではぶどうの苗はすべてクローンで増やしており、より上質の血統のシャルドネ種のクローンの苗を買ってくる、ということになる。
ちなみに、ポワンドロンおじさんのは、ブルゴーニュの産だそうだ。AOCでは当たり前だがシャンパンと名乗っていいのはシャンパーニュ地方で採れたブドウを使い、シャンパーニュ地方で醸造するというのが最低限のルールだけど、苗はかまわないのだという。いわば、但馬の子牛を松坂で育てれば松坂牛、というのと同じ・・・かな。
作業は淡々と進み、あっというまに斜面に苗木の列が勢ぞろいした。ただ、ワックスの色が真っ赤なのである。したがって、土の上には赤い棒が突き出ているだけだ。農作物の畑というよりは、工事の作業現場な印象がないでもない。
そして、順調に行けば3年後には最初のぶどうが収穫される。