感激! 海に落ち込む急斜面のぶどう畑 ディンガッチinクロアチア

 

下を見ると転げ落ちそうな恐怖があるほどの急斜面にブドウ畑が作られていた。

一歩踏み出せばそのまま海に転落しそうなほど。これがクロアチアの最高峰の赤ワインが生まれる畑である。

クロアチアのワイン産地のなかでも最も注目されているのがディンガッチという地区。と、言われたところで、クロアチアワインについての情報はまだまだ不十分だ。そんななか、初めて現地を訪れることができた。

それは、アドリア海の真珠と呼ばれ近年観光客が激増しているドブロブニクの北に連なるペリェシャッツ半島にある。

 

IMG_4919 ディンガッチのブドウ畑は、海岸線まで転げ落ちそうな斜面

 

一方、振り返れば、荒々しい岩の壁がそそり立っている。道などどこにもなく、山羊だけが唯一登れるといわれる、人を寄せ付けない厳しい風景だ。

IMG_4941

この急で荒々しい斜面が、クロアチアきっての赤ワイン品種、プラヴァツ・マリ(Plavac Mali)に適している。

クロアチアのワイン産地は大きく4つに分かれるが、アドリア海に面したダルマチア地方、なかでもペリェシャッツ半島の、そのなかでも、この傾斜地であるディンガッチが最高の区画であり、ブルゴーニュ的に言えばグランクリュの土地柄なのである。

アドリア海はどこまでも青く、波は穏やかで、遠くに近くにたくさんの島影が望める。ときどきフェリーやヨットが通り過ぎる。ぼんやりといつまでも眺めていられる風景を前に、ブドウの樹はたくましく育っている。仕立てはゴブレだが、背がせいぜい膝か腿あたりと低いのが特徴だ。冬はブラと呼ばれる風が強く、それに耐えるためだ。印象としてはコートロティあたりの急斜面だが、背後の岩山が印象的。日本なら屏風岩とでも呼べそうな岩山で、これが海岸線の斜面を孤立させていた。が、トンネルが掘られ、いっきに岩山の境界を越えて、内陸と海岸線が近くなった。もっとも内陸と呼ぶにはあまりに距離が近い。両者は直線距離にすればわずか400mなのだ。

トンネルを抜けると、アドリア海の青い海と空が待っていた
トンネルを抜けると、アドリア海の青い海と空が待っていた

が、この岩山の影響は大きく、日本においてアルプスが日本海側と太平洋の気候をへだてているように、ここでは400mの距離でクリマが異なる。海側は地中海性気候であり、内側は大陸性気候、というわけだ。

実際、内側ではちょうどブドウの開花が終わった状況であったが、これが海側の畑を見るとすでに実ができている。2,3週間の差が生まれているのだ。

テイスティングにおいても、明確に違いは現れていて、内側はフルーティでやわらかい、別の言い方をすれば軽くて飲みやすいワインができあがる。これに対してディンガッチの斜面からは凝縮感のある果実としっかりしたタンニンが得られ、樽熟成をしたものでは長期熟成も可能になる。

 

 

ドブロブニクは美しい。が、高騰と混迷と混乱

ドブロブニクの街を歩き始めて、5分でもう後にしたくなった。

とにかく人が多い。恐ろしいほど多い。いやになるほど多い。P1010188

 

アドリア海の城塞都市としての歴史に思いを馳せるより、いかにフォトジェニックな写真を撮ってSNSにupすることしか考えていない人たちだらけだ。ホテルの料金に驚いていたが、これならむべなるかな。圧倒的に部屋が不足していることだろう。旧市街に部屋を持っていた人は自ら暮らすのをやめ貸すことにしている。ここまで観光客であふれていては暮らしずらいだおうし、貸した方がはるかに稼げる。

わたしが見つけたのもそんな部屋の一つ。まず、受付事務所のようなところに来いと言われる。どうやらオーナーは何か所か部屋を所有しているようで、その管理を一か所でしているというわけ。そこで鍵を受け取り、部屋まで案内される。なぜって住所だけではまずたどりつけないような小道を入り、奥まったところにあったからだ。

屋上のテラスのある建物が泊まったところ。ここの半地下の部分の狭い部屋が貸し出し用。
屋上のテラスのある建物が泊まったところ。ここの半地下の部分の狭い部屋が貸し出し用。

驚いたのは、チェックアウト後に荷物を預かってくれないこと。そして荷物預かりが有効なビジネスとなっていること。そうかもしれない。これだけの旅行者だ。そしてスペースはない。わずかでもスペースを持っていれば、十分なビジネスとなるのだ。ちなみに料金は1時間10クーナ約170円。都内の駐車場並ではないか、スーツケースひとつで。彼曰く、これでも一番安いランクだそうだ。

いちばんの名所である、街をぐるりと取り囲む城壁。これもまた、朝8時の開門前に長蛇の列ができ、入場券を買うにも長蛇の列。当然、歩き始めてもそこここで人の渋滞。

遠目に見ると、聖地への巡礼か、蟻の行列か・・・。

ちなみに、料金も最新版の地球の歩き方が200KNだったがそれより50クーナ値上がり。1年前のガイドブックが150だったから、毎年1000円ずつアップしている。それでもなお、この行列。

10時を過ぎると、街のそこここで人の滞留が起きていて、満足に歩くこともできない。写真で見る限り、いや、実際に見てもたいへん美しい街で、アドリア海の海の色とオレンジの屋根と白い壁、棕櫚の並木と夾竹桃の群生、どこを切り取っても実に絵になる。

要塞都市であったドブロブニク。街は城壁に囲まれており、その上を歩くことができる。アドリア海の海の色と赤い瓦屋根の街並み。素材としては最高なんだけどね。
要塞都市であったドブロブニク。街は城壁に囲まれており、その上を歩くことができる。アドリア海の海の色と赤い瓦屋根の街並み。素材としては最高なんだけどね。

とはいえ、だ。この人混みはうんざり。

もう来ないな。

クロアチアの旅 準備編その2

『クロアチアへの旅。準備編その2』
何はともあれ、航空券。直行便がないため、経由便はいろいろなルートが考えられるので迷ったが、行きはフランクフルト経由、帰りはベニス発に決定。ここまでも悩みまくったので、購入したら安心して集中力はストップ。
2週間ほど前になりさすがに初日くらいはホテルを確保しないとまずいと思い、ホテルサイトを調べたら、これがほとんど満室! 初日はドブロブニクからスタートする予定だが、ホテルはほぼ満室な上に、たまにあっても5万、6万円もする。えーっ! 高過ぎない?
勝手なイメージで、西側文明国より物価が安い、と思い込んでいた(失礼な話だ)。 フランスの農村にお金目的で嫁ぐルーマニア花嫁、という映画を見たことがあり、映画になるくらい普遍的に格差があるものだと思い込んでいた。東欧全般十把ひとからげ(大ざっぱすぎ)。
この歳になればホテル1泊料金の底上げをしてもいいのでは、と常々思っているのだが、長年のビンボー旅行スタイルは簡単には代えられず、ついつい安宿を選んでしまう。どうもクロアチアはホテルではなく部屋貸し、が多いようだ。これもわたしの類推だが、紛争で観光どころではなかった地域が一気に観光人気になり、旅行者が急増したのにホテルが間に合わず、いわゆるエアビーが増えたのではないか。
ということで、その手の、ホテルではない部屋だけ貸すところに何カ所か予約を入れ(といっても予約サイトで普通に予約できるのだが)、なんとか寝るところだけは確保した。
初めての国というのは、地名がまず頭に入っておらず、そこへガイドブックのモデルコース通りの旅程ならともかく、ワイナリーに行くのが目的なのでそれがどこにあるのか、どうやってたどりつけばいいのか、ほぼ情報が見つからない。スペルもちょっと違ってすっと目に入ってこないし、なかなかにハードルが高い、準備編であった。

さらにハードルを上げているのが、ワイナリーを訪問すること。ネットを山ほどあさって、その多くは普通のワイナリーツアーなので、さすがにそれはプロの私では満足できるはずもなく、個別にアポを取ることにした。ところが、土地勘がないため、ワイナリーを見つけたとしてもそこへどうやって行くことが可能なのか。問い合わせもしたが、車が便利、と言い放たれる。そんなことはわかっているが、レンタカーはわたしには無理な話だ。で、2,3アポを入れ、okをもらい、するとその近くにもワイナリーがあるようなので、後は現地で突撃ヴィジット。もう準備だけで相当消耗しました。

クロアチアへの旅。準備編その1

次の旅の目的地をクロアチアに決めたのは、ある日届いた冊子がきっかけだ。A4版の薄いパンフレットのようなものだったが、クロアチアのワイン産地と品種について地図と共に詳しく記されていた。
それはワインの輸入業者が作ったのだが、意外にもよく出来ていて、何より日本においてクロアチアのワイン産地についての情報がほとんどなかったのがありがたかった。

近年のわたしの旅先はワイン産地と決めていて、それは仕事でもあるからなのだが、だんだん主だったところは訪れてしまっていた。フランス、イタリア、ドイツ、スペイン、オーストラリア、ニュージーランド・・・ことにフランスなど頻繁に行ってるから「熱海に行くようなもの」と日ごろ吹聴している。
そこで、東欧に行きたいと考えてた。が、あまりになじみがなくて、いきなりの一人旅は二の足を踏んでいたのだ。
そこへ、クロアチア情報だ。クロアチアは実はアドリア海を挟んでイタリアの対岸にある。イタリアなら詳しいからなんとなくシンパシーがあるし、きっとワインもイタリアに近いものができているのだろう。なんとなく社会主義の匂いも少ない気がした。

というわけで、クロアチア。でも、これがなかなか難題で・・・。

 

リビアの少女

カターニアからナポリへは夜行列車で向かうことにしていた。シチリア島とイタリア半島の間に橋はなく、列車もフェリーに乗るのだという話を聞き、ぜひそれを体験してみたかった。

カターニア駅の発車時間は、午後22時54分、ほぼ夜の11時だ。あまり好ましくはないが仕方ない。

駅には30分前に着いた。もしかして、早めに入線しているかもという期待。が、それどころか50分遅れだと! しばらくするとさらに時間がのび、1時間20分遅れ。日付が変わってからの出発になる。どこかで時間をつぶそうにも駅の構内は店はしまり、外は雨が降っていた。

しかたなく、駅の硬い椅子に座って待つ。

と、隣にいた4,5歳の少女が私にニコニコと話しかけてくる。といっても、顔立ちはアラブ系で、話している言葉もアラブ系のよう。まったく一語も理解できないが、わたしも疲れていて、日本語で適当に話しかけた。二人の間には、彼女の持ち物のピンク色のキティちゃんバッグがある。すると、少女もペシャペシャ話し、うれしそうに笑う。わたしはわたしで日本語で相槌を打つ。

日本のおばさんとアラブ少女の間で不思議なコミュニケーションが成立していた。遠くからストールで頭を覆ったお母さんがほほえましそうに見つめ、わたしに笑いかける。ただでさえ遅い出発の列車にさらに1時間半の遅れという状況で、わたしにとっても、つかのまのうれしい時間だった。

小学2年生くらいのおねえちゃんも加わってきた。おねえちゃんは、英語で話してきたので、ここで初めて意味を持つ会話が成立した。

「どこから来たの?」「リビア」

わたしは押し黙った。ここからどう会話を広げていいか戸惑ったのだ。リビア、だ。悲しいかな、カダフィ大佐、しか思いつかない。砂漠の国、石油資源の豊かな国。そんな知識から、10歳に満たない少女たちと何を話せと言うのか。

シチリアは、実はアフリカに近い。もっとも近いところで100キロだそうだ。方やイタリアの首都のローマとは700キロ。歴史的にも北アフリカ沿岸を含めた地中海文化の地域なのだ。だから、シチリアではあちこちでアフリカ系、アラブ系の人たちも多く見かけた。

では、彼らはどういう事情なんだろうか。子供はあと2人男の子がいて(小学校高学年と3歳くらいの)、大きくて重そうなスーツケースが3つ、中ぐらいが2つ、子供用のかばんが数個。とても、ただの家族旅行とは思えない荷物だ。が、子供たちが着ているものも、おもちゃや持ち物もそれなりに豊かで、悲壮感も貧困もさほどうかがわれない。お母さんはとてもおだやかでやさしい表情をしている。

夜中の12時半を過ぎたころ、ようやく列車は到着して乗り込んだ。彼らはソレントに向かうのだそうだ。こんな夜中の旅は小さい子供にはさぞつらいことだろう。

 

今日、ナポリに到着し、ようやく帰りの目途が立ちこれまでテレビを付けなかったのだが、落ち着いてニュースを見ると、リビアからの難民問題が連日賑わせていたようだ。ゴムボートに乗り切れないほどの人が乗った映像などが繰り返し移される。

いま、リビアで何が起きているのか。彼らは、それなりに恵まれた状況にあって、ボートではなく、船でカターニアに到着し、その後列車でイタリア半島に入ろうとしていたのだろうか。

小学2年生くらいのおねえちゃんが、英語で答えたとき、わたしは「英語は学校で勉強したの?」という会話を始めた。ごくごく普通の展開と思う。その次に「いまは学校は夏休みなの」と話を勧めた。だって、学校で勉強したと彼女が答えたのだから、彼女は学校に行っていると思うじゃないか。が、「英語がよく分からない」と返された。もしかして国を捨てたのなら、学校など気楽なことを言ってる場合じゃない。学校に行けるのは平和で豊かな国、豊かな家庭だけだ。もしかして、あまり事情を話すなと親から諭されているかもしれない。発言が命にかかわる国もたくさんある。何を口走っても安全な国にいると気が付かない。

たかだか10歳にもならない少女がすでにいろいろなものをしょっている。

妹はそれに比べれば無邪気で、わたしと遊ぶのに夢中。バービーふうの人形や色鉛筆やらいろいろ取り出して見せてくれる。首にはプラスチックながらネックレスをかけ、ヘアアクセサリーもカラフルで、爪にはマニュキュアをし、悲壮感や貧困が感じられないのが救いだ。ごく普通の引っ越しレベルの話であってほしい。

でも、リビア。

グーグルでもヤフーでもリビアの問題は日本ではまったく報じられない。イタリアではほぼトップニュース。

かたや、のほほんと旅をするアラカンマダム。自由に安全に旅できる幸せをかみしめる。(2018年9月25日)

 

 

アリアニコの白ワイン問題@マテーラ

洞窟住居の都市が世界遺産になり、観光客が押し寄せるようになったが、かつては陸の孤島といわれたマテーラでのことだ。

川が削り取った石灰岩の断崖にできた岩穴に石器時代から人が住み始め、中世以降それを活用して石造りの建物が積み上がり、奇妙で魅力的な街ができあがった。
川が削り取った石灰岩の断崖にできた岩穴に石器時代から人が住み始め、中世以降それを活用して石造りの建物が積み上がり、奇妙で魅力的な街ができあがった。 20世紀初頭には廃墟と化したが、世界遺産認定を機に整備され、ホテルやレストラン、土産物屋が入って賑わう町に戻った。

イタリアはカジュアル度によって名称が変わるが、その店は、トラットリアではなく、完全にリストランテだった。

岩窟を利用したレストランの入り口
岩窟を利用したレストランの入り口
中世のままのたたずまい。天井が高く、石を積み上げた雰囲気がすてき。
中世のままのたたずまい。天井が高く、石を積み上げた雰囲気がすてき。
料理は洗練されていて、なかなかにおいしかったです。
料理は洗練されていて、なかなかにおいしかったです。

ワインリストを見ながら、昼間でもあるしワインはグラスでお願いした。とくにグラスワイン用のメニューはなく、オーナーらしき30代くらいのお兄さんにおすすめを聞く。いちおうわたしはワイン関係者だとうっすら伝えた。

「アリアニコの白がありますがいかがですか」

「???」

アリアニコというのは、南イタリア、とくにバジリカータ州(ナポリやここマテーラのあるところ)を代表する赤ワイン用のブドウ品種のひとつ。論理的には赤ワイン用の品種からでも白ワインを作るのは可能だが、アリアニコの白なんて聞いたことがなかった。「フレッシュでフルーティ」だと言われ、そういう説明のワインはたいしたことがないのでいまひとつだったが、一度は飲んでみたいのでトライすることにした。

お兄さんは、新品のよく冷えたボトルを持ってきて目の前で抜栓し、注いでくれた(グラスワインだけど)。日頃の習慣でまず鼻に持っていくと、たいそうアロマティックな香りがする。アリアニコの赤にまったくその要素はないので小さく疑問がわいたが、ワインとしてはオッケーなので、その旨を伝える。そして、記録用に写真を撮りたいのでボトルを置いて行ってくれと頼んだ。

写真を撮って、バックラベルを読んでみたら、えっ! 文章はイタリア語だが、ブドウ品種なら分かる。ミュラートゥルガウ70%、トラミネール30%と書いてある。アリアニコのアの字もない。

どうりで。

うん、この品種なら納得できる香りと味わいだ。

これが懸案のワイン。
これが懸案のワイン。

そこでお兄さんに、これはアリアニコじゃないよ、と伝える。すると、余裕のサービスだったお兄さんがにわかにうろたえ始めた。1本につき1ページの解説が書いてあるワインリストをばたばたとめくり、テーブルにあるワインのページにたどりつく。が、そこにもはっきりとミュラートゥルガウとトラミネールと書いてある。当たり前だ、生産者の解説は同じに決まっている。焦って他のページを全部めくるが、どこにもアリアニコの白は現れない。

そこで繰り出したお兄さんの技は、「リストにはないけど、冷蔵庫にある」というもの。リストは写真入りで印刷で、完璧にできあがっているのだが、これに載ってないものをわざわざすすめた? そうは思いづらいが、ま、素直に、じゃ、それをお願いします、という。

しばらく待っていると「やっぱりなかった」 (ほんとは、最初からなかったんじゃないの?と疑念深まる)

で、どうしますか?と聞かれるも、他にグラスワインの選択肢がなく、「じゃぁ、これをいただきます」と答えた。

そのとき、妻らしき人がちょうどサーブにきて、お兄さんがワインどうしようみたいなアイコンタクトをするも、グラスワインはその量で充分、と大きな声で言い放つ(客の前なのに)。

しかし、お兄さんは、女性がキッチンに引っ込んだのを見計らい、そっと高さ5mmほど余分に継ぎ足してくれた。(少なっ)

妻は怖いが、客には申し訳ない、というあなたの気持ちの逡巡がよくわかりますよ。はいはい。いや、「申し訳ないから多めにサービスしようと思ったけど、あ、このワインは仕方なく注文したやつだった、たくさん注いでもかえって迷惑かも」という迷いがこの中途半端な量に現れたのか。

最後に会計をお願いすると、そこにグラスワインの請求が含まれていなかった。お兄さんは、伝票を渡しながら小さな声で「ワイン代は入れてないから」とはにかんで話しかけた。

思うに、彼は間違えたのじゃなくて、最初に持ってきた白ワインをほんとうにアリアニコの白、だと思い込んでいたのではないだろうか。業者に勧められるままにオンリストして、そのときにどういう勘違いがあったか、それがアリアニコの白だと思っていたのではないか。これまでだれも、それを指摘する人などいなかったのだろう。

逆に言えば、ワインのことに関心を持ってくれる客がいるのは店側にはうれしいことのはず。イタリアはワイン大国だが、大部分の人はそれほどワインの知識はない(フランス人も同じ)。彼は間違えたことが恥ずかしくもあり、しかし、品種について客と話題にできるのが楽しくもあり、そんな気持ちで代金を請求することをやめたのではないだろうか。

わたしが、このあとワイナリーを訪問するのだという話をしたら、すごくうらやましそうだった。そして、彼の方から握手を求めてきた。

ワイン代おまけしてもらって、感謝されて・・・。ワインにちょっと詳しくてよかった(実は、南イタリアのワインについてはほとんど知らないけど)。

ちなみに、いまだアリアニコに白が存在するかどうかは検証していない。調べればいいのだが、このエピソードは、お兄さんのはにかんだ笑顔と一緒にこのまましばらくとっておきたいから。

 

アルベロベッロとブルゴーニュ

 

アルベロベッロに向かう車窓に、円錐形のとんがり屋根の小屋が見えてきた。畑の中にぽつり、またぽつり。

写真で何度も見たとんがり屋根の小人の家のような造りは、アルベロベッロに集中してはいるがそこだけにある特異な現象ではなく、数十キロ圏のこの地方全体での伝統的な造りなのだ。

アルベロベッロでも、とくにトゥルッリが集まるエリア。
アルベロベッロでも、とくにトゥルッリが集まるエリア。

 

それよりも、目を引いたのが、白い石をびっしりと積み上げて作られている畑の囲い。瞬時に、あ、ブルゴーニュみたい、と思った。(畑の石垣の写真をまったく撮っていなかった。反省)

 

ブルゴーニュのブドウ畑では、こういう石の囲いをClosクロと呼ぶ。畑の境界を示すものであるが(有名なクロ・ド・ブージョとかね)、わたしは、地面を掘ればざくざく出てくる石灰岩は、畑を作るには邪魔であり、それを上手に処分(活用?)する方法だと思っている。同様に、その石を使って小さな作業小屋も作られる。

デザインが異なるだけで、発想は同じではないか?

 

アルベロベッロでも、とくにトゥルッリが集まるエリア。
アルベロベッロでも、とくにトゥルッリが集まるエリア。

観光客であふれかえり、かなり興ざめのアルベロベッロであったが、トゥルッロの博物館に入ったところ、この地方の地質の解説があり、石灰岩だとか、ジュラ紀だと、海の生物の堆積物だとか、の単語が聞き取れた。

え、これってブルゴーニュと同じじゃないか。同時期の地層の地域だったんだね、このあたりは。風景を見た時の印象が間違っていなかったことが裏付けられて、すごく納得。

 

通りは観光客であふれていた
通りは観光客であふれていた

 

昔ながらの石積みがよくみえている。
昔ながらの石積みがよくみえている。

実は、アルベロベッロには、たいした関心もなく、いちおう行っとこうか、くらいで訪れたのだが、とんがり屋根のおとぎの国のようなフォトジェニックな街並みにはあまり反応せず、周辺の畑の風景が記憶に残る。

まさか、南イタリアの小さな村がブルゴーニュとつながっていたとは。ただ、ぶどう畑も少しはあったけれど、気候の違いと有力者がいなかったせいか、残念ながらいいワインには恵まれていない。

ぶどうの収穫は、年に3回!!! バリ島のワインのヴィンテージって?

ワインに呼ばれてる感がある。ハッテンワインの本店は、偶然選んだホテルから、わずか徒歩10分のところにあった。

ハッテンワインのセラードア バリらしくないモダンなビル
ハッテンワインのセラードア バリらしくないモダンなビル

天井が高く、コンクリート打ちっぱなしのモダンな店内。対応してくれたのは、Indra  君。インドネシアソムリエ協会(イスラム教の国とはいえ、こういう協会が存在するんだね)の会員で、WSETはまだ勉強中の青年です。

 

ソムリエの卵、インドラ君が案内してくれました。
ソムリエの卵、インドラ君が案内してくれました。

全アイテムを試飲したのだが、カテゴリーは大きく二つに分かれてる。

ひとつは、バリ島の自社畑で作った地ブドウ100%使用のバリ産ワイン。もう一つのラインは、「Two Island」というシリーズだが、オーストラリアから輸入したブドウ(つまりは、シラーズやシャルドネやらの国際品種です。冷凍果汁の状態で輸入)を使用してバリで醸造したものである。

 

 

 

まずは、地ブドウを使ったスパークリングが2種。どちらも、瓶内2次発酵をするシャンパンと同様のトラディショナル方式だそうだ。

“Tunjung Brut Sparkling”は、Brobollingo BiruとBelgiaいうブドウを使用。香りは控えめで、くせのないさわやかな味わいの品種というところ。メソッド・トラディショナルとはいえ、その期間は4カ月なのだそうだ。そりゃ、軽い味わいになるのもむべなるかな。同様に、ロゼスパークリングもあり、こちらはAlphonse Lavalleeというぶどう。味わいは、まぁお手頃スパークリングワイン以上のものではないかな。でも、セラーの写真では、ピュピートルがあり、ルミアージュもしているそうだ。ならその後、もう少し長く熟成期間を取ればいいのに、と思うのだが。

 

スティルワインは白がドライとセミドライの2種、赤とロゼの計4種類。

Aga Whiteがドライで、ブドウはBelgia種。軽くて味わいもほんのり柑橘系とミュスカっぽい香り。別の言い方をすると、かなり水っぽい、薄い。熱帯の気候でシャバっと飲むのに適しているのかも。Alexandria は、これのレイトハーヴェストでセミドライ。ほんのり甘口はスパイスの効いたバリ料理に合いそうだ。アレキサンドリアという名前になっているのは、Belgia種がマスカット・オブ・アレキサンドリアと近い品種だからだそうである。

続いて、ロゼ。これがハッテンワイナリーの第一号のワインだそうである。ブドウ品種はAlphonse Lavalle. オーナー曰く、スペインの土着品種が宣教師とともに持ち込まれ島に根付いたと話していたが、資料を探すと、19世紀半ばにフランス人が持ち込んだもので、のちにフランス人の学者Alphonse Lavalleeの名前が付けられた。ヴィティス・ヴィニフェラではあるのだが、食用ブドウとして長く食べられていた。赤は、ライトボディでオークフレイバーが少し感じられる。といってもステンレスタンク醸造で、木片を入れて香りづけをしている。

  (Hpから写真を拝借)

さて、なんといってもワインは畑を見ないことには始まらないと考えているのだけれど、畑は島の北部シンガラジャにあり、クルマをチャーターして2時間以上かかるというので、今回はあきらめ。ただ、ビデオで様子を見ることができる。

それによれば、栽培は日本同様、ブドウ棚造りで、1本の幹から長く枝が四方に伸びていて、幹と幹の間隔は2mくらい。日本の生食用のブドウ棚に似ている。ブドウの粒も大きめ。

 

試飲の印象としては、全体に水っぽい。テイスティングノートには、マンゴ、パパイヤ、スターフルーツ、グァバと南洋らしいフルーツが出てくるが、キャラクター云々以前に、香りや味わいが少ない。とはいえ、熱帯の気候では氷を入れて飲むという手もあるくらいだから、これもありかもしれない。

なんといっても、その土地で飲む酒はその土地でできたものがいちばん。滞在中、一度は味わってみたいものである。

 

オーストラリアのブドウとバリの醸造というTwo Islandシリーズ
オーストラリアのブドウとバリの醸造というTwo Islandシリーズ

ところで、もう一つのラインTwo Islandは2001年に100回目のヴィンテージを記念してスタートしたとパンフレットにある。

10回のミスプリントじゃないか、と思った。

だけど、ちょっと待て。

バリは、年に3回の収穫が可能なんだそうだ。(コメ作りも年3回。三期作だ)。

創業が1968年だから、2001年には33年過ぎており、×3で、100回と主張することは可能。

いやはや、年に1度のチャンスに試行錯誤を重ね、1代では終わらず、世代を繋いで技術を継承していき、日々の研鑽と苦行の末、現在のワインの基礎を作り上げていった中世の修道僧たちよ。バリ島ではその3倍の速さでデータが積み上がるのだ。

 

ワインメーカーは、初代がフランス人、現在はオーストラリア出身のJames Kalleske  氏が、バロッサバレーのグラント・バージを皮切りにマーガレットリバーのいくつかのワイナリーをへて2012年より、醸造責任者を務めている。

2017年にはアジアの最優秀ワイナリーにも選ばれた。

ローカル品種以外にも栽培を研究しているそうだ。その名の通りいまはまだ、ハッテン途上かもしれないが、今後が大いに楽しみである。

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2階には、キッチン付きの広々としたテイスティングルームも。

 

ピノデシャラントの製法で作る酒精強化の甘口ワインPino de Bali フレンチの樽で5年熟成。おいしいです。

バリ島で、バリ島産のワインに遭遇する

 

バリワインと呼ぶものがあるとはうっすら聞いてはいた。が、どうせかつての日本と同じ「お土産ワイン」なんだろうと思っていた。つまりは、中身はどこかのものでラベルだけ現地仕様、というような。だから、関心もなかった。

ところが、バリ島にある畑で育てたブドウを使い、バリ島にある醸造所で製造している、正真正銘バリ島産ワインがあることが分かった。

 

それはビーチ沿いのカフェでのほほんとしていたときのこと。メニューにワインがあるので、一応現地リサーチしてみた。するとたまたま対応した男性が親切で、すぐそばに醸造所があるから行ってみては、と丁寧に手描き地の図を書いてくれた。(住所を教えてくれればグーグルマップでたどりつけるんだけどね)

地図を見ながら(せっかくの好意なのでグーグルマップは見ない)行くと、あった。

大通りから脇道に入った目立たない場所にひっそりとHattenWineの看板が。IMG_2970

 

 

 

 

 

敷地に入ると、小規模ながらも、醸造タンクやプレス機、瓶詰めラインが並ぶ、ちゃんとした醸造所であった。へぇ、こんな暑いところで醸造しているんだ、とちょっと驚き。

中にステンレスタンクの醸造タンクがのぞいている。
中にステンレスタンクの醸造タンクがのぞいている。
水平プレス機もちゃんとあった。
水平プレス機もちゃんとあった。

さて、その2日後、再びその店を通りかかると前回のおじさんが私を発見して、話しかけてきた。なんと今日はワイナリーのオーナーが来ているという。

40代だろうか、小太りで背も高くなく、インドネシア系の顔立ち。最初は尊大な対応だったが、わたしがワインに詳しいと分かるといろいろと話してくれた。

いわく、生粋のバリの一族で、彼の祖父であるIB Oka Gotamaさんが創業したファミリー企業。ワイン醸造の歴史は、1968年にまで遡るという。といっても、当時祖父が作っていたのはバリ名物の「ライスワイン」だった。

 

あー、つながった。

 

もう30年以上前だ。初めてバリ島を訪れた時に「ライスワイン」を飲んだ記憶がある。なんだか、甘くてべったりしたアルコールだった。

 

今回の旅では、さすがにワインの話は出てこないだろうと思っていたのだが、どっこいワインの世界はいつもどこかにつながっている。

 

オーナーが話を通しておくというので、次は、ワインセラーを訪れたテイスティングのお話し。

 

<番外編>Grab さまさま。

 

わたしは外国でタクシーに乗るのがあまり好きじゃない。とくにアジア圏は、交渉制のタクシーが多い。ふっかけてくる相手に適正と思われる価格まで交渉するのに疲れるし、どこか発展途上国の裕福じゃなさそうな人を相手に、いじめているような気分にもなる。

メーターがあっても倒さないケースが多いので、それを指摘しないといけないという攻防もある。

たとえ、メーターを使ったとしても、今度は、遠回りするんじゃないか(実際そういったことは多数)、渋滞にはまってどんどんメーターがあがる、などと気にするのがストレスなのだ。

 

昨年、マレーシアのボルネオ島側の都市、コタキナバルを訪れたとき、やはり空港でSIMを買ったところ、Grabのアプリを勧められた。未知のアプリだったが言われるがままにインストールしてもらい、さらに使い方も伝授してもらった。

ちなみに、こちらもスカーフでびっちり頭を覆ったイスラムの若い女性だった。宗教の制約を受けて不便そうに思うけれど、スマホを自由自在に操っている。イスラム教徒というだけでひとくくりで語ってはいけないと、しみじみ思う。

 

さて、Grabというのは、簡単に言うとUberの東南アジア版で、現行、マレーシアやインドネシアなどでは両方のシステムが使えるそうだが、Uberがクレジットカード登録するのに対し、こちらは現金払い。また、出発地点と到着地点をインプットすると料金が現れ、それで確定するので、遠回りしようがどうしようが最初の料金のままなので、精神衛生上たいへんよろしい。

しかも、安い。

例えば、コタキナバルの空港から市内までは、空港タクシーが固定料金で30リンギットだが、Grabだと10リンギットだった。1回でSIMカード分がペイする。

コタキナバルは、日差しが強いうえに交通渋滞が激しく排気ガスでむせかえるようであり、さらに歩道も整備されていない。そぞろ歩きが楽しい街ではなかった。歩行者にはやさしくないのだ。そこで、空港で入れてもらったアプリGrabが大活躍した。もう、毎日フル活用。

今回のバリでまだ、2カ国目だけれど、顔写真があること、乗車後に客が運転手の評価をするので、態度はおしなべて好感がもてる。そもそもアジア圏で自家用車を持っているのは中流以上だろうから、英語が話せる人が多いし、クルマのグレードも悪くない。

これまではタクシーとの交渉を思ってためらって歩いていたところも、さまざまなストレスから解放されるので滞在中は実に頻繁に活用させていただいた。帰りのタクシーが呼べるのかと不安な場所も安心して行ける。旅のスタイルがこれによってがらりと変わったのだ。

ただし業界からは反発があり、バリ島では、例えば空港やホテルで、Grabの車は敷地内に入ることができない。タクシーで生計を立てている人たちにすれば死活問題だというのはよく理解できる。パリでも3年前にUberに反対するタクシー業界のデモがあり、シャルルドゴール空港がタクシーの列で封鎖され、友人の乗る飛行機が飛ばなかったという記憶がある。

 

とはいえ、やっぱり便利でストレスフルなのは代えがたい。

まさに、グラブさまさま、なのである。