今年6月末に訪れたクロアチアから生産者が初来日。
現地でお会いした時に、今度は9月に日本に行くから、ということで、約束を守ってわざわざわたくしのサロンに足を運んでくださいました。
クロアチア最高峰の赤ワインを産するディンガッチの畑を有するスカラムーチャ・ワイナリー。
シャンパーニュの小さな作り手から届きました。ティエリー・レンヌから立ち上る泡は至福のひと時を…
グルナッシュ種に特化したセミナーがあった。講師の方はフランス人だが「わたしの英語はカタラン訛りで・・・」とおっしゃる。フランス訛りとは言わない。
彼はフランス南西部ルーション地方の人だが、そうか、この地はもうスペインと国境を接している地域なのだ。
ブドウ品種の歴史をたどれば、アラゴン王国に遡る。そうかそうか、いまでこそフランスとスペインが国境をへだてているが、かつてはカタラン、スペイン語ならカタルーニャ地方として一体だったところだ。バルセロナではカタルーニャとして独立しようという機運が盛んだけれど、ブドウ品種としてはすでに一体化しているのだ。ただし、フランスではグルナッシュ、スペインではガルナッチャと呼ぶ。
ジョージア(旧グルジア)はいま現在世界最古のワイン産地として認定されている。その起源は8000年前にさかのぼる。歴史好きの私としてはそれだけで心惹かれる。
さらに、クヴェブリという、人がすっぽり入ってしまうような巨大な甕を地中に埋め、ブドウを放り込んで発酵熟成させるという古代製法がいまもなお続けられており、世界遺産にも登録された。独特の地域文化が大好きなわたしとしてはますますジョージアワインに関心が強くなる。
そんなジョージアワインばかりを集めた試飲会に足を運んだ。集まったのは10数社のインポーター。クヴェブリ製法で作られたワインに絞り込んで試飲していった。
ところが・・・・。
あれぇ、以前飲んだ印象では白ワインながらタンニンがあり、骨格もしっかりしていてジョージアワインって思ってたよりレベル高い、と感じていたので、楽しみにしていたのだが。
確かに色はオレンジがかっているが、水っぽかったり、酸化してたり、雑菌が混じったような雑味が感じられたり、これはワインとして売っちゃいかんだろう、というレベルのものまで。
どうやら、クヴェブリといっても「ステンレス発酵、クヴェブリで6か月熟成」などというちょっとだけクヴェブリという使ってます、というものも同様のワインとしてくくられているようだ。
そもそもは「古代より続く伝統的製法」であるはずが、「新樽30%、フレンチオークとアメリカンオークを半々」というような樽をどの程度使うかという醸造テクニックとしてのジャンルになってきているのだ。クヴェブリは容器の名称でもあり、製法でもあり、その辺りの用語の用法が明確になっていないのが問題か。
以前、現地の生産者に聞いたところでは、たいへん面倒な作り方なので、ジョージア全体でもクヴェブリで造られたワインは全体の1割程度だそうだ。とするなら、日本でこれほど多数紹介されているワインはいったい・・・。
この辺りで、きちんと規定を明確にしておかないと、世界最古という栄誉に傷がつくのでは。少々がっかりの試飲会であった。
下を見ると転げ落ちそうな恐怖があるほどの急斜面にブドウ畑が作られていた。
一歩踏み出せばそのまま海に転落しそうなほど。これがクロアチアの最高峰の赤ワインが生まれる畑である。
クロアチアのワイン産地のなかでも最も注目されているのがディンガッチという地区。と、言われたところで、クロアチアワインについての情報はまだまだ不十分だ。そんななか、初めて現地を訪れることができた。
それは、アドリア海の真珠と呼ばれ近年観光客が激増しているドブロブニクの北に連なるペリェシャッツ半島にある。
一方、振り返れば、荒々しい岩の壁がそそり立っている。道などどこにもなく、山羊だけが唯一登れるといわれる、人を寄せ付けない厳しい風景だ。
この急で荒々しい斜面が、クロアチアきっての赤ワイン品種、プラヴァツ・マリ(Plavac Mali)に適している。
クロアチアのワイン産地は大きく4つに分かれるが、アドリア海に面したダルマチア地方、なかでもペリェシャッツ半島の、そのなかでも、この傾斜地であるディンガッチが最高の区画であり、ブルゴーニュ的に言えばグランクリュの土地柄なのである。
アドリア海はどこまでも青く、波は穏やかで、遠くに近くにたくさんの島影が望める。ときどきフェリーやヨットが通り過ぎる。ぼんやりといつまでも眺めていられる風景を前に、ブドウの樹はたくましく育っている。仕立てはゴブレだが、背がせいぜい膝か腿あたりと低いのが特徴だ。冬はブラと呼ばれる風が強く、それに耐えるためだ。印象としてはコートロティあたりの急斜面だが、背後の岩山が印象的。日本なら屏風岩とでも呼べそうな岩山で、これが海岸線の斜面を孤立させていた。が、トンネルが掘られ、いっきに岩山の境界を越えて、内陸と海岸線が近くなった。もっとも内陸と呼ぶにはあまりに距離が近い。両者は直線距離にすればわずか400mなのだ。
が、この岩山の影響は大きく、日本においてアルプスが日本海側と太平洋の気候をへだてているように、ここでは400mの距離でクリマが異なる。海側は地中海性気候であり、内側は大陸性気候、というわけだ。
実際、内側ではちょうどブドウの開花が終わった状況であったが、これが海側の畑を見るとすでに実ができている。2,3週間の差が生まれているのだ。
テイスティングにおいても、明確に違いは現れていて、内側はフルーティでやわらかい、別の言い方をすれば軽くて飲みやすいワインができあがる。これに対してディンガッチの斜面からは凝縮感のある果実としっかりしたタンニンが得られ、樽熟成をしたものでは長期熟成も可能になる。
ドブロブニクの街を歩き始めて、5分でもう後にしたくなった。
アドリア海の城塞都市としての歴史に思いを馳せるより、いかにフォトジェニックな写真を撮ってSNSにupすることしか考えていない人たちだらけだ。ホテルの料金に驚いていたが、これならむべなるかな。圧倒的に部屋が不足していることだろう。旧市街に部屋を持っていた人は自ら暮らすのをやめ貸すことにしている。ここまで観光客であふれていては暮らしずらいだおうし、貸した方がはるかに稼げる。
わたしが見つけたのもそんな部屋の一つ。まず、受付事務所のようなところに来いと言われる。どうやらオーナーは何か所か部屋を所有しているようで、その管理を一か所でしているというわけ。そこで鍵を受け取り、部屋まで案内される。なぜって住所だけではまずたどりつけないような小道を入り、奥まったところにあったからだ。
驚いたのは、チェックアウト後に荷物を預かってくれないこと。そして荷物預かりが有効なビジネスとなっていること。そうかもしれない。これだけの旅行者だ。そしてスペースはない。わずかでもスペースを持っていれば、十分なビジネスとなるのだ。ちなみに料金は1時間10クーナ約170円。都内の駐車場並ではないか、スーツケースひとつで。彼曰く、これでも一番安いランクだそうだ。
いちばんの名所である、街をぐるりと取り囲む城壁。これもまた、朝8時の開門前に長蛇の列ができ、入場券を買うにも長蛇の列。当然、歩き始めてもそこここで人の渋滞。
遠目に見ると、聖地への巡礼か、蟻の行列か・・・。
ちなみに、料金も最新版の地球の歩き方が200KNだったがそれより50クーナ値上がり。1年前のガイドブックが150だったから、毎年1000円ずつアップしている。それでもなお、この行列。
10時を過ぎると、街のそこここで人の滞留が起きていて、満足に歩くこともできない。写真で見る限り、いや、実際に見てもたいへん美しい街で、アドリア海の海の色とオレンジの屋根と白い壁、棕櫚の並木と夾竹桃の群生、どこを切り取っても実に絵になる。
とはいえ、だ。この人混みはうんざり。
もう来ないな。
『クロアチアへの旅。準備編その2』
何はともあれ、航空券。直行便がないため、経由便はいろいろなルートが考えられるので迷ったが、行きはフランクフルト経由、帰りはベニス発に決定。ここまでも悩みまくったので、購入したら安心して集中力はストップ。
2週間ほど前になりさすがに初日くらいはホテルを確保しないとまずいと思い、ホテルサイトを調べたら、これがほとんど満室! 初日はドブロブニクからスタートする予定だが、ホテルはほぼ満室な上に、たまにあっても5万、6万円もする。えーっ! 高過ぎない?
勝手なイメージで、西側文明国より物価が安い、と思い込んでいた(失礼な話だ)。 フランスの農村にお金目的で嫁ぐルーマニア花嫁、という映画を見たことがあり、映画になるくらい普遍的に格差があるものだと思い込んでいた。東欧全般十把ひとからげ(大ざっぱすぎ)。
この歳になればホテル1泊料金の底上げをしてもいいのでは、と常々思っているのだが、長年のビンボー旅行スタイルは簡単には代えられず、ついつい安宿を選んでしまう。どうもクロアチアはホテルではなく部屋貸し、が多いようだ。これもわたしの類推だが、紛争で観光どころではなかった地域が一気に観光人気になり、旅行者が急増したのにホテルが間に合わず、いわゆるエアビーが増えたのではないか。
ということで、その手の、ホテルではない部屋だけ貸すところに何カ所か予約を入れ(といっても予約サイトで普通に予約できるのだが)、なんとか寝るところだけは確保した。
初めての国というのは、地名がまず頭に入っておらず、そこへガイドブックのモデルコース通りの旅程ならともかく、ワイナリーに行くのが目的なのでそれがどこにあるのか、どうやってたどりつけばいいのか、ほぼ情報が見つからない。スペルもちょっと違ってすっと目に入ってこないし、なかなかにハードルが高い、準備編であった。
さらにハードルを上げているのが、ワイナリーを訪問すること。ネットを山ほどあさって、その多くは普通のワイナリーツアーなので、さすがにそれはプロの私では満足できるはずもなく、個別にアポを取ることにした。ところが、土地勘がないため、ワイナリーを見つけたとしてもそこへどうやって行くことが可能なのか。問い合わせもしたが、車が便利、と言い放たれる。そんなことはわかっているが、レンタカーはわたしには無理な話だ。で、2,3アポを入れ、okをもらい、するとその近くにもワイナリーがあるようなので、後は現地で突撃ヴィジット。もう準備だけで相当消耗しました。
次の旅の目的地をクロアチアに決めたのは、ある日届いた冊子がきっかけだ。A4版の薄いパンフレットのようなものだったが、クロアチアのワイン産地と品種について地図と共に詳しく記されていた。
それはワインの輸入業者が作ったのだが、意外にもよく出来ていて、何より日本においてクロアチアのワイン産地についての情報がほとんどなかったのがありがたかった。
近年のわたしの旅先はワイン産地と決めていて、それは仕事でもあるからなのだが、だんだん主だったところは訪れてしまっていた。フランス、イタリア、ドイツ、スペイン、オーストラリア、ニュージーランド・・・ことにフランスなど頻繁に行ってるから「熱海に行くようなもの」と日ごろ吹聴している。
そこで、東欧に行きたいと考えてた。が、あまりになじみがなくて、いきなりの一人旅は二の足を踏んでいたのだ。
そこへ、クロアチア情報だ。クロアチアは実はアドリア海を挟んでイタリアの対岸にある。イタリアなら詳しいからなんとなくシンパシーがあるし、きっとワインもイタリアに近いものができているのだろう。なんとなく社会主義の匂いも少ない気がした。
というわけで、クロアチア。でも、これがなかなか難題で・・・。
カターニアからナポリへは夜行列車で向かうことにしていた。シチリア島とイタリア半島の間に橋はなく、列車もフェリーに乗るのだという話を聞き、ぜひそれを体験してみたかった。
カターニア駅の発車時間は、午後22時54分、ほぼ夜の11時だ。あまり好ましくはないが仕方ない。
駅には30分前に着いた。もしかして、早めに入線しているかもという期待。が、それどころか50分遅れだと! しばらくするとさらに時間がのび、1時間20分遅れ。日付が変わってからの出発になる。どこかで時間をつぶそうにも駅の構内は店はしまり、外は雨が降っていた。
しかたなく、駅の硬い椅子に座って待つ。
と、隣にいた4,5歳の少女が私にニコニコと話しかけてくる。といっても、顔立ちはアラブ系で、話している言葉もアラブ系のよう。まったく一語も理解できないが、わたしも疲れていて、日本語で適当に話しかけた。二人の間には、彼女の持ち物のピンク色のキティちゃんバッグがある。すると、少女もペシャペシャ話し、うれしそうに笑う。わたしはわたしで日本語で相槌を打つ。
日本のおばさんとアラブ少女の間で不思議なコミュニケーションが成立していた。遠くからストールで頭を覆ったお母さんがほほえましそうに見つめ、わたしに笑いかける。ただでさえ遅い出発の列車にさらに1時間半の遅れという状況で、わたしにとっても、つかのまのうれしい時間だった。
小学2年生くらいのおねえちゃんも加わってきた。おねえちゃんは、英語で話してきたので、ここで初めて意味を持つ会話が成立した。
「どこから来たの?」「リビア」
わたしは押し黙った。ここからどう会話を広げていいか戸惑ったのだ。リビア、だ。悲しいかな、カダフィ大佐、しか思いつかない。砂漠の国、石油資源の豊かな国。そんな知識から、10歳に満たない少女たちと何を話せと言うのか。
シチリアは、実はアフリカに近い。もっとも近いところで100キロだそうだ。方やイタリアの首都のローマとは700キロ。歴史的にも北アフリカ沿岸を含めた地中海文化の地域なのだ。だから、シチリアではあちこちでアフリカ系、アラブ系の人たちも多く見かけた。
では、彼らはどういう事情なんだろうか。子供はあと2人男の子がいて(小学校高学年と3歳くらいの)、大きくて重そうなスーツケースが3つ、中ぐらいが2つ、子供用のかばんが数個。とても、ただの家族旅行とは思えない荷物だ。が、子供たちが着ているものも、おもちゃや持ち物もそれなりに豊かで、悲壮感も貧困もさほどうかがわれない。お母さんはとてもおだやかでやさしい表情をしている。
夜中の12時半を過ぎたころ、ようやく列車は到着して乗り込んだ。彼らはソレントに向かうのだそうだ。こんな夜中の旅は小さい子供にはさぞつらいことだろう。
今日、ナポリに到着し、ようやく帰りの目途が立ちこれまでテレビを付けなかったのだが、落ち着いてニュースを見ると、リビアからの難民問題が連日賑わせていたようだ。ゴムボートに乗り切れないほどの人が乗った映像などが繰り返し移される。
いま、リビアで何が起きているのか。彼らは、それなりに恵まれた状況にあって、ボートではなく、船でカターニアに到着し、その後列車でイタリア半島に入ろうとしていたのだろうか。
小学2年生くらいのおねえちゃんが、英語で答えたとき、わたしは「英語は学校で勉強したの?」という会話を始めた。ごくごく普通の展開と思う。その次に「いまは学校は夏休みなの」と話を勧めた。だって、学校で勉強したと彼女が答えたのだから、彼女は学校に行っていると思うじゃないか。が、「英語がよく分からない」と返された。もしかして国を捨てたのなら、学校など気楽なことを言ってる場合じゃない。学校に行けるのは平和で豊かな国、豊かな家庭だけだ。もしかして、あまり事情を話すなと親から諭されているかもしれない。発言が命にかかわる国もたくさんある。何を口走っても安全な国にいると気が付かない。
たかだか10歳にもならない少女がすでにいろいろなものをしょっている。
妹はそれに比べれば無邪気で、わたしと遊ぶのに夢中。バービーふうの人形や色鉛筆やらいろいろ取り出して見せてくれる。首にはプラスチックながらネックレスをかけ、ヘアアクセサリーもカラフルで、爪にはマニュキュアをし、悲壮感や貧困が感じられないのが救いだ。ごく普通の引っ越しレベルの話であってほしい。
でも、リビア。
グーグルでもヤフーでもリビアの問題は日本ではまったく報じられない。イタリアではほぼトップニュース。
かたや、のほほんと旅をするアラカンマダム。自由に安全に旅できる幸せをかみしめる。(2018年9月25日)
洞窟住居の都市が世界遺産になり、観光客が押し寄せるようになったが、かつては陸の孤島といわれたマテーラでのことだ。
イタリアはカジュアル度によって名称が変わるが、その店は、トラットリアではなく、完全にリストランテだった。
ワインリストを見ながら、昼間でもあるしワインはグラスでお願いした。とくにグラスワイン用のメニューはなく、オーナーらしき30代くらいのお兄さんにおすすめを聞く。いちおうわたしはワイン関係者だとうっすら伝えた。
「アリアニコの白がありますがいかがですか」
「???」
アリアニコというのは、南イタリア、とくにバジリカータ州(ナポリやここマテーラのあるところ)を代表する赤ワイン用のブドウ品種のひとつ。論理的には赤ワイン用の品種からでも白ワインを作るのは可能だが、アリアニコの白なんて聞いたことがなかった。「フレッシュでフルーティ」だと言われ、そういう説明のワインはたいしたことがないのでいまひとつだったが、一度は飲んでみたいのでトライすることにした。
お兄さんは、新品のよく冷えたボトルを持ってきて目の前で抜栓し、注いでくれた(グラスワインだけど)。日頃の習慣でまず鼻に持っていくと、たいそうアロマティックな香りがする。アリアニコの赤にまったくその要素はないので小さく疑問がわいたが、ワインとしてはオッケーなので、その旨を伝える。そして、記録用に写真を撮りたいのでボトルを置いて行ってくれと頼んだ。
写真を撮って、バックラベルを読んでみたら、えっ! 文章はイタリア語だが、ブドウ品種なら分かる。ミュラートゥルガウ70%、トラミネール30%と書いてある。アリアニコのアの字もない。
どうりで。
うん、この品種なら納得できる香りと味わいだ。
そこでお兄さんに、これはアリアニコじゃないよ、と伝える。すると、余裕のサービスだったお兄さんがにわかにうろたえ始めた。1本につき1ページの解説が書いてあるワインリストをばたばたとめくり、テーブルにあるワインのページにたどりつく。が、そこにもはっきりとミュラートゥルガウとトラミネールと書いてある。当たり前だ、生産者の解説は同じに決まっている。焦って他のページを全部めくるが、どこにもアリアニコの白は現れない。
そこで繰り出したお兄さんの技は、「リストにはないけど、冷蔵庫にある」というもの。リストは写真入りで印刷で、完璧にできあがっているのだが、これに載ってないものをわざわざすすめた? そうは思いづらいが、ま、素直に、じゃ、それをお願いします、という。
しばらく待っていると「やっぱりなかった」 (ほんとは、最初からなかったんじゃないの?と疑念深まる)
で、どうしますか?と聞かれるも、他にグラスワインの選択肢がなく、「じゃぁ、これをいただきます」と答えた。
そのとき、妻らしき人がちょうどサーブにきて、お兄さんがワインどうしようみたいなアイコンタクトをするも、グラスワインはその量で充分、と大きな声で言い放つ(客の前なのに)。
しかし、お兄さんは、女性がキッチンに引っ込んだのを見計らい、そっと高さ5mmほど余分に継ぎ足してくれた。(少なっ)
妻は怖いが、客には申し訳ない、というあなたの気持ちの逡巡がよくわかりますよ。はいはい。いや、「申し訳ないから多めにサービスしようと思ったけど、あ、このワインは仕方なく注文したやつだった、たくさん注いでもかえって迷惑かも」という迷いがこの中途半端な量に現れたのか。
最後に会計をお願いすると、そこにグラスワインの請求が含まれていなかった。お兄さんは、伝票を渡しながら小さな声で「ワイン代は入れてないから」とはにかんで話しかけた。
思うに、彼は間違えたのじゃなくて、最初に持ってきた白ワインをほんとうにアリアニコの白、だと思い込んでいたのではないだろうか。業者に勧められるままにオンリストして、そのときにどういう勘違いがあったか、それがアリアニコの白だと思っていたのではないか。これまでだれも、それを指摘する人などいなかったのだろう。
逆に言えば、ワインのことに関心を持ってくれる客がいるのは店側にはうれしいことのはず。イタリアはワイン大国だが、大部分の人はそれほどワインの知識はない(フランス人も同じ)。彼は間違えたことが恥ずかしくもあり、しかし、品種について客と話題にできるのが楽しくもあり、そんな気持ちで代金を請求することをやめたのではないだろうか。
わたしが、このあとワイナリーを訪問するのだという話をしたら、すごくうらやましそうだった。そして、彼の方から握手を求めてきた。
ワイン代おまけしてもらって、感謝されて・・・。ワインにちょっと詳しくてよかった(実は、南イタリアのワインについてはほとんど知らないけど)。
ちなみに、いまだアリアニコに白が存在するかどうかは検証していない。調べればいいのだが、このエピソードは、お兄さんのはにかんだ笑顔と一緒にこのまましばらくとっておきたいから。
アルベロベッロに向かう車窓に、円錐形のとんがり屋根の小屋が見えてきた。畑の中にぽつり、またぽつり。
写真で何度も見たとんがり屋根の小人の家のような造りは、アルベロベッロに集中してはいるがそこだけにある特異な現象ではなく、数十キロ圏のこの地方全体での伝統的な造りなのだ。
それよりも、目を引いたのが、白い石をびっしりと積み上げて作られている畑の囲い。瞬時に、あ、ブルゴーニュみたい、と思った。(畑の石垣の写真をまったく撮っていなかった。反省)
ブルゴーニュのブドウ畑では、こういう石の囲いをClosクロと呼ぶ。畑の境界を示すものであるが(有名なクロ・ド・ブージョとかね)、わたしは、地面を掘ればざくざく出てくる石灰岩は、畑を作るには邪魔であり、それを上手に処分(活用?)する方法だと思っている。同様に、その石を使って小さな作業小屋も作られる。
デザインが異なるだけで、発想は同じではないか?
観光客であふれかえり、かなり興ざめのアルベロベッロであったが、トゥルッロの博物館に入ったところ、この地方の地質の解説があり、石灰岩だとか、ジュラ紀だと、海の生物の堆積物だとか、の単語が聞き取れた。
え、これってブルゴーニュと同じじゃないか。同時期の地層の地域だったんだね、このあたりは。風景を見た時の印象が間違っていなかったことが裏付けられて、すごく納得。
実は、アルベロベッロには、たいした関心もなく、いちおう行っとこうか、くらいで訪れたのだが、とんがり屋根のおとぎの国のようなフォトジェニックな街並みにはあまり反応せず、周辺の畑の風景が記憶に残る。
まさか、南イタリアの小さな村がブルゴーニュとつながっていたとは。ただ、ぶどう畑も少しはあったけれど、気候の違いと有力者がいなかったせいか、残念ながらいいワインには恵まれていない。